生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

レモンとウーロン

 

 晴れ。パン屋休み。7時頃起床。潰れたあんぱん。洗濯など。

 10時頃出る。10時半ちょうどにおてさんちのピンポン押す。最後に会ったのはもう2年くらい前なのでとてもうれしい。家の中に入れてもらう。猫のレモンとウーロン。とてもかわいくてすてき。2匹とも目が青色に澄んでおり、毛並みもさらさらできれい。レモンは体が白く、顔の眉間のとこに茶が混じっている。ウーロンはウーロン茶ぽい色。「靴下とマスクをしているみたい」に足先と口のあたりが白い。ちょびひげ。「お父さんが自販機の前で決めたの」と名前の由来をおてさんのお母さんから教えてもらう。㏄レモンと烏龍茶、サントリーの自販機と推理したがどうか。パン屋へ行く途中におてさんちの前を通るのだが、通りに面したベランダから2匹が顔を出しているのをよく見ていた。ササミのおやつあげ、おもちゃで遊ぶ。レモン氏に跳躍を見せていただく。2階から下りてきたおてさんに、長島の古道具屋で買ったという神薬の瓶を見せてもらう。深い青色。親指と人差し指でつまめるくらいの大きさに感じるものがある。

 11時頃おてさんと車で出る。生活の感じ、仕事の感じ、ゴキブリの感じなど話しながら県道27号を走る。おてさんの作った服は海外のVOGUE誌にも掲載され、描かれている絵もすばらしいのでどうにかして世に伝えたい。「ほとばしっている」感じがするし、自然の雄大さ、みたいなのを感じる。

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 青森空港のあたりを過ぎ浪岡へ。11時半頃つねた食堂の前を通るも車が溢れかえっており断念する。醤油ラーメン食べてみたい。

 浪岡北中野黒石線。おてさんが夢中になってるというボトルディギング(瓶掘り)に同行させてもらう。昔の地図と現在の地図をを見比べ、今は廃村となっている場所や古い集落(通称・ハケ)を探すのだそう。六郷公民館に車を停め、歩いて目的地へ。りんごで財を成した農家たちのおそろしくでかい日本家屋が立ち並ぶ通り。道路と敷地の境があいまいなほどに大きい。台所の窓から見えるかごに盛られたりんご。津軽新報の真っ赤な看板。高館川の向こうに岩木山が見える。民家の庭に植わっている、高さ3メートルくらいのサルスベリの木。田園の裏手にある墓地。近くを流れる用水路のあたりに盛られた土の表面に透明な小瓶が埋まっているのをおてさんが見つける。陶器の破片なんかはたまに見かけるけども、割れてない瓶が落ちてるのは初めて見た。自力では見つけられず。少し歩いて別の墓地の前にある空き地へ。おてさんが土に埋まってた歪なビー玉を見つけてくれたのでもらう。全部で5個拾った。墓地の目の前ということもあり、深く掘るのは憚られるためよす。めぼしい瓶がなく残念。歩いて車まで戻る。さすがに人骨ではないと思うが道の脇に骨のようなものが落ちていた。民家の庭の土にも古いジュースの瓶が埋まっていた。通りを山側に入ったところをグーグルアースで確認すると黒くて巨大な何かが縦に長く広がっている。「ソーラーパネルか、エスカレーターですかね」とおてさんが言う。エスカレーターであってほしい。

 車に戻り、おてさんからお土産をいただく。「プスライト」のペットボトルに感動して飛び跳ねる。しんちゃんと少年アシベが描かれたかばん、しんちゃんの飴。とてもうれしい。

 黒石警察署の前を通り大鰐浪岡線へ折れる。洋菓子シェール。浅瀬石(あせいし)川を越えて平川市へ。しばらく走り、JA津軽みらい産直センターひらかアグリネスへ。かぼちゃコーナー。道の駅みたいな感じだけども観光客向けという雰囲気でもない。野菜や果物はほとんど売り切れていた。おてさんに桃のソフトクリームをごちそうしていただく。おいしい。平川市が桃の産地であることを知らなかった。以前おてさんと恐山へ行ったとき「ボン・サーブ」という牛乳屋のソフトクリームを食べたことを思い出す。店の外にかわいいヤギがいた。

 14時過ぎ青森市。いったんおてさんちに戻る。おてさんファミリーがやってる養蜂でとれたはちみつを瓶いっぱいにいただく。ふたたび出、本町のコスモ石油でガソリン入れる。パン屋の近くにある、現在は改装中でやってないコスモ石油にいた人たちがここで働いていた。ジープの表面積。

 国道を東へずっと行き浅虫へ。ゆ~さ浅虫浅虫水族館もやっておらず。ワンダーランドの跡地を左に折れる。建物がすべて取り壊されて更地になっていた。向こうに赤い鳥居がぽつんと見える。15時頃立正食堂へ。座敷から海を見渡すことができ、風が心地いい。ウミネコがうんちした。ハエが1つのテーブルにつき4匹くらいおり接待か、と思いつつラーメン食べる。おいしい。おてさんから裸島のおそろしい伝説を聞く。昔、大きな鳥が岩の頂上に子をさらっていった。子を助けるため母親は岩をよじ登ったが、爪が剥がれて血だらけになった。岩があんな色をしてるのはそのためだ、と。民話、怖すぎる。昭和50年に外国からやってきたオウム。2019年の暮れにおてさんと野内の海で探したタコガイ。トマソンぽい階段があった。

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 平内町。夏泊半島を一周することに。夏泊ホタテライン。凪いだ海。5メートルくらいある巨木が漂着していた。徐々に暮れ始める空。しばらく海沿いを走り気持ちがいい。おてさんが昔家族でよく行ったという海水浴場と海の家は寂れてしまっていた。夏泊ゴルフリンクスのそば、半島の頂点にあたる場所に車を停める。さっき行った浅虫の立正食堂のような食事処や民宿、ボート乗り場が並ぶ場所へ。

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瓶掘りの他、ビーチコーミング好きでもあるおてさんの後をついて歩く。ここにも特にめぼしいものはなく。岩場にはまなすの花が咲いている。俳人・斎藤梨林檎(なしりんご)の句碑が建つ日が待ち遠しい。運が良ければ落ちてる、というガラス製の浮き玉を探すも見当たらず。ボートが乗り上げる石の上を歩いていると、手頃な大きさで先が3つに割れてるかっこいい巨木を見つけた。掲げ、写真撮ってもらう。

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比較的新しいごみが捨てられている波打ち際。先を歩いていたおてさんが立ち止まったので近づく。鈍い緑色のガラスの浮き玉が2つ落ちていた。1つは割れており、もう1つは完品であったが大玉のスイカくらい大きく持ち帰ることができない。おてさんはハンドボールくらいの大きさのものを狙ってるそうだが、人気なのでなかなか落ちてないらしい。

 海沿い。どうやって生きていけばいいのか、迷いはある。ただ落ち込みすぎない。西日。山の中へ入る。おてさんがグーグルアースで見つけた、森の奥にあるという屋敷のふもとへ近づく。人の手の入っていないであろう森の一部がたしかに拓かれている。その入口に立てられてる看板の文字を確認しに行くも、看板が大きく傾いており読めず。道の左手には山に囲まれて低くなった土地がある。降りて行ってみる。今後整備し農地として再利用される旨。このあたりを流れる川もすばらしい。夏泊は沿岸地域で漁業が盛んに行われていることはもちろん、山に囲まれているので潮風の影響を受けることなく稲作も行えてとてもいい場所。農業や釣りや養蜂をして暮らしたい。旧道。直立する杉の木の群れが暗闇を作っていて怖い。下北半島の巨大風車の群れのような不穏さがある。やや不安になりながらも走る。かつて軍人のための病院があったという施設を過ぎ、国道4号へ出る。カタルシス

 野内漁港を右手に見ながら青森市街へ帰る。喧嘩は力でなく技術。夕飯求めて橋本にある中華料理屋広州へ行くもやっておらず。中央市民センターのそばにあるローソンに寄ってもらってお金おろす。ハッピードラッグでおてさんがちょっといい目薬を買う。

 長島にあるたこ八へ。カウンターのとこに、自分の部屋にも貼ってあるらせん堂の新聞記事の切り抜きがあった。ここはおてさんが赤ちゃんの時から来てる店らしく、おてさんを見た店のおばちゃんが「こうちゃんおかえり」とうれしそうにしているのがよかった。記念に、とラベンダーの香袋もらってうれしい。おてさんとは浪岡のアップルヒルにラベンダーを摘みに行ったこともある。こけしちゃんの絵のついたピンク色の袋。おてさんがいつも頼むといういか玉2つ、焼きそば2つ、いかとキャベツの炒め物1つ。お好み焼きをひっくり返したり鉄板に押し付けたりするのが楽しい。どれもおいしい。黙食を心がけるべきなんだろうか、と思いながら黙って食べる。途中で暑くなり扇風機を回したのがなんかよかった。おてさんにお好み焼きと炒め物半分食べてもらって申し訳ない。店を出ると正面にお好み焼きみたいな満月。十五夜か。おてさんに「あの店、たまに行ってあげてください」と言われる。自分は小さい頃に家族と外食した思い出が少なく、大人になってから外で食べるときはガストやドトールで満足していたのだが、おばちゃんとおてさんを見てたら地元の飲食店の大切さがわかったような気がする。

 浪館通りのローソンまで送ってもらって19時頃別れる。楽しかった。まったくお酒を飲まないのに悪くなってる肝臓の数値がよくなるといい。

 19時20分頃帰宅。今日の楽しかったことをすべて両親に話す。黒石で拾ったビー玉を父に見せると「それ、わぁが子供の頃に遊んだやつかもしれないな」と言った。