生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

書きたいけれど書くことができないのです

 

 10月7日土曜日。

 「いちばんよいことは、その日その日の出来事を書き止めておくことであろう。はっきり理解するために日記をつけること。取るに足らぬことのようでも、そのニュアンスを、小さな事実を、見逃さないこと。そして時に分類してみること。どういう風に私が、この机を、通りを、人々を、刻みタバコ入れを見ているかを記すべきだ。なぜなら、変ったのは〈それ〉だからである。この変化の範囲と性質とを、正確に決定しなければならない。」

 と、古書らせん堂の外の均一棚から何となく手に取ったサルトルの『嘔吐』(人文書院)の冒頭に書いてあったので手にしたまま店に入った。三浦さんに会えてうれしい。今度エルメート・パスコアールというブラジルの笛吹きじいさんと折坂悠太が八戸・南郷でライブをするらしいので、そのポスター掲示のお願いも兼ねて。海外文学の棚前の床に積まれていた(といっても床に敷いた木の板の上、であるが)本は片されていた。すぐれない体調は、私と日本酒の一杯でも飲み交わしたら治るのではなかろうか。

 昨日、仕事の休憩時間に読んだ『現代詩論大系第一巻』(思潮社)の中から、木原孝一の『現代詩の主題』にいたく感動したので『木原孝一詩集』(現代詩文庫)買う。巻末の夏川圭による『詩人におけるリアリティーのために』。あわせて買った『川崎洋詩集』は帰った後に部屋の本棚を見たらあった。『石原吉郎詩集』も2冊ある。

 へば!と言って別れた後は草の上に寝たい。ヘッセの『車輪の下』で読んだみたいに木の枝に糸をくくりつけて釣りをしたい。デパ地下、という言葉を使いたくはない。

 母親を、11月のTHE ALFEEのコンサートに誘った。それを百貨店のハンカチ売場に勤める叔母に伝えたら「喜ばないからやめた方がいい」と言われたのでやめた。叔母は私に会ってまず「お元気?」とふざけた調子で訊いて、私はそれを好きだと思った。

 心を失うということは不可能なのかもしれない、と気づかされてよかった。死刑囚に。インターネットで無料でできる診断のことを当てにしちゃいけないよ。

 

書きたいけれど書くことができないのです

と書くことはできるのですが

 

 以前買った方の『川崎洋詩集』のこの部分に鉛筆で丸がついていた。

 

 

hard work, nerd walk

 

 9月26日火曜日。

 風邪を引いて会社を休んだ。弱っているのは体より気の方だけど。

 今年の頭、アスパム3階のヤングハローワークに通っていた。冬の晴れた陸奥湾を眺めながら数人のキャリアカウンセラーと何度か話した。彼らは私の話すこと全てを肯定した。仕事を探している人間の精神は脆くて扱いにくんだろうな、と今まさに求職中の身で思った。

 地元の出版社を受けて面接をしてもらったけれど不採用だった。他人の話をよく聞くことと自我を両立させて筆致に表すことは可能だろうに、と思った。要するに私の自我が強いことを遠回しに指摘された。そこの出版物にそこまで愛着がないことも見透かされての結果だとは思う。

 今の会社に勤めて半年が経つ。たまに残業が続くこともあるけれど休日も給与も賞与もそれなりだ。幸運なことに、自分が担当している業務は興味のある分野のため飽きるということはまずないのだけど、典型的な不注意の特性が業務に支障をきたしている。何をすればいいかは理解しているのに、不注意によってどうしても達成できないというもどかしさ。毎日あちこちから叱られている。好きでもないことを仕事にして金を稼ぐ覚悟はできていたのに……。自分の能力が満たないので、そのように器用な立ち回りができないのだ。先日、残業を終えて22時頃に桜川で信号を待っているとき、漠然と「300万円くらい貯まったら辞めよう」と思ったのだが、それより先に、むしろ300万円では済まされない損失を会社に与えてしまいそうである。

 そういえばいつだったか、『みんなのうた』を見ていたら玉置浩二が「あなたは一人じゃない」と4回歌ったので、いくらその声を以てしても「あなたは一人じゃない」という言葉を4回くり返されるのはさすがに耐え難い、と感じたのだが、「あなたは一人じゃない」という単純な事実こそが生きることの本質なんじゃないか……?と改めて(改めて、であることが重要)考えさせられたことは、やはり玉置浩二の歌声によるのだろう。「alone」と「lonely」の違いは物理的に一人であるか、そこに感情を伴うか、だそうだ。なんてったって私は英検3級ですから、スタバで「普通の大きさでお願いします」と注文したことがある(バケツみたいなマグカップに注がれた焦げた味のコーヒーで具合が悪くなった)。

 世話になった人に返せるだけの金は稼ぎたいと思う。とぎすまそう、な生き方を探す自分にまた戻ろうと思った。どうせまた明るい道に出るのだろう。落下してもいずれ明るい場所に着地するのだろうよ。

一箱古本市「はなかり市」

 

一箱古本市「はなかり市」

 

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一箱古本市は、2005年に東京・谷根千で始まった「不忍ブックストリート」以降、全国各地で開催されています。

この「はなかり市」は、今回が第1回目の開催となります。誰でも本屋さんになれる1日です。今回は10ものお店が集まりました。いつもとはひと味ちがった本に出会えるんじゃなかろうか。

みなさまのご来場をお待ちしております!ぜひ、あそびにきてくださいね。

 

【開催日時】

 2023年11月4日(土)10時~16時

【場所】

 青森市新町1丁目13-7 和田ビル2階 えん(古書らせん堂 2階)

【出店】

・一味屋

・カラトポ

・SAN Net

・指紋生成

・蒼空ん家の今日の本棚

積読道つんつん座

・なると屋

・本屋らむねくり

・ミツバチ舎

・もぐらや

 

■ 代表あいさつ

 

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 跳人(はねと)の草履が熱気を踏み散らしてつぎの季節へいくんだなあとか思っていたのですが、まだまだ青森にも夏は停滞しているもようですな。そんな八甲田の山を歩いて、たどりついた大岳の山頂にはまさに激情!といった風が吹いておりまして、それが皮膚に触れるとまあとんでもなく冷たかった。雲はあまりにもはやく行き過ぎてしまって、追いつけないな、と思いました。そうやって、知らず知らずのうちに取りこぼしてきた、とどめておくべきだった出来事と、それに伴う感情が、あったんだろーな、と思いました。生き直そう、と思いました。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で感じやすいものじゃないですか?

 平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』のこの一節を、私はとても好きです。

 

 前置きが長くなってしまいました、失敬!

 

 2023年11月4日土曜日、青森市新町にある和田ビルの2階、「えん」さんの空間をお借りして、一箱古本市「はなかり市」を開催することになりました。私の大好きな、古書らせん堂の入っているビルです。

 企画と開催にあたり、ご協力と励ましをいただいております、古書らせん堂三浦さん、NPO法人「SAN Net」代表根本さん、和田ビルオーナー和田さんとそのご家族のみなさん。そして友人たちに、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

 「はなかり市」という名前は、敬愛する板画家・棟方志功の『華狩頌』からいただきました。

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 (青森県立美術館で開催された『メイキング・オブ・ムナカタ』にて)

「けものを狩るには、弓とか鉄砲とかを使うけれども、花だと、心で花を狩る。きれいな心の世界で美を射止めること、人間でも何でも同じでしょうが、心を射止める仕事、そういうものを、いいなあと思い、弓を持たせない、鉄砲を持たせない、心で花を狩る」

『板極道 / 棟方志功』(中公文庫)1976年

 私はこの作品とスコさんの心意気が大好きで、心で花を狩る人間でありたい!と日々思うのです。そして、これからつくる一箱古本市が、心で花を狩る人たちの集う場所になればいいなあと思い、お名前を拝借してしまいました。スコさんから怒られたら、違う名前を考えなきゃいけないけど...。

 

 さて、「はなかり市」の絵は、大切な友人(実家がまあまあ近所)であり、ものをつくる人として尊敬しているデザイナー・KOUKISAITOさんに描いていただきました。ありがとーございます!

 

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 「文化を広めていくというのは、未来に伝えていくことだと思い、それはこの個人的な風景をずっと覚えていることと意味合いが似ているような気がしました。」

 私は、さいとうさんからいただいたこの言葉も、ずっと覚えていたいと思います。

 

 読むことと書くことを通じて得たすべての出会いに、読むことと書くことを通じて報いること、そしてそれを続けていくことが、私のやりたいことです。

 湿っぽいのはきらいだネ!と、思うんです。ただ、本の向こうには生きた人間がいる、あるいは生きていた人間がいたという「こと」が、私にとってはなにより大切です。本は決して「もの」ではないので。

 

 さあ、記念すべき!第1回目の開催となりますので、ご参加・ご来場されるみなさまにはご迷惑をおかけする部分が多くあるかと思いますが、まずは種をまく第1回目として努めます。どうぞよろしくお願いいたします。

 私たちひとりひとりの、極めてちいさな命の中で最大のかがやきを目指して!精いっぱい、そんなふうにして、この一箱古本市「はなかり市」を育ててゆくことができれば、と思っています。

 

一箱古本市「はなかり市」代表 成田安香音

齧って待つ

 

 8月17日木曜日。

 6時45分、ほしのスマートフォンから折坂悠太の『光』。ギターの2音目が鳴ったところでほしが止める。

 ご飯、しめじとねぎと油揚げの味噌汁、サラダ、昨日の残りの肉じゃが、メンチカツ、麻婆茄子、ねぶた漬け。

 仙台育英履正社の試合のようすを聞きながらガスコンロ周りと洗面所の拭き掃除。洗った食器を拭くのを忘れて伏せたまま出てしまった。

 畑へ寄る。育ちすぎたオクラは筋張って食べづらいので早めに収穫したいのだけどなんとも。だんだんとよその畑も片付けられてきたよう。

 9時40分から勤め。開発部に4人ベトナム人が入社した。同じくベトナム人のnくん(気さく)に「女子トイレのロッカーの使い方を教えてあげてほしい」と声をかけられ了承したはいいものの、肝心のロッカーの暗証番号がわからないとのことだったので教えられず。14時半、休憩のため外へ出る。ユニバース東青森店を徘徊している際、腕の虫刺されの跡にできたかさぶたが気になって触っていたら剥がれて血が出た。手首まで血が垂れる。戻って仕事。22時まで。冗談を言って笑っていられる余裕はあるが単純に仕事の量が多すぎると思う。パソコンで作業を終えて保存する際、読み込みに時間がかかるのでその間お土産でもらったブルーベリー味のラスクを齧っていた。

 23時まで営業している東青森のユニバースに両手を合わせてから入店。入口の青果売り場から豆苗、細切りのたけのこだけカゴに入れ、正反対にある寿司や惣菜の売り場へ足早に向かう。寿司売り場にかっぱ巻きが1パックだけ取り残されていた。半額のシールのついた厚揚げ、イカの焼いたやつ、にんにく醤油で焼いた鶏肉、シールはついてないけど揚げ出し豆腐、レンジでチンするもつ煮、ハイボール2本買う。

 22時半帰宅。先ほど帰ってきたほしがシャワーを浴びて出てくるまでの間、出来合いの品を皿に盛る。冷蔵庫に作って置いてある山形のだし、かぼちゃのサラダ、盆にもらった枝豆も。スーパードライ、グリーンラベルをそれぞれ半分ずつコップにあけて飲む。ほしはハイボールも。蛇口から出るりんごジュースはインターン中の大学生が裏で紙パックからせっせと補充している話、酸素カプセルで電源が落ち自販機の飲み物がぬるくなった話。

 片付けを済ませ、0時過ぎお互いの肩に湿布を貼って寝る。自分のいびきは本当にひどいからほしが眠るまで待ったつもりなのだが、どうなったかは知らない。翌朝これを書いた。

踊りのように美しくはない

 

 8月16日水曜日。

 夜中、自分のいびきがあまりにもうるさくて起きた。正確には、そのとき思わず発した「うるさ」という自分の声で、だが。

 6時45分、ほしのスマートフォンから折坂悠太の『光』。「このゲ」でほしが止める。自分のいびきも折坂悠太の歌声だったらいいのにねぇ、と思った。さっさと起き上がり支度を始めるほしを横目に自分は少し二度寝した。

 ご飯、わかめと春雨のスープ、サラダ、昨日の麻婆茄子の残り、山形のだし、ほしの実家からお中元でもらったねぶた漬け。NHKの朝のニュースを見ながら朝食を済ませる。8月から異動になったほしは忙しそうにしている。

 資源ごみの日。溜まっていた古紙を捨てることができてさっぱりした。スチーム焼き鳥の空き箱。アパートの裏で袋栽培しているトマトに水をやる。黄色の実は明かりのついた豆電球のように見える。ごみ捨て場のそばで上手に育てられていたミニトマトは収穫を終えたのかすでに跡形もない。

 8時50分頃家を出る。畑へ。パプリカがついに赤く色づき始めた。スーパーで売っているような肉厚な実ではないものの、どんなに不格好であれ自分が育てたものにはやはり愛着が湧くものだな、と思えて安心した。もしかしたら自分にも何かを大切にできる心があるんじゃないか。それだけで畑をやって良かったと思う、自分にとって豊かさは心のことだから。

 勤めへ。途中、観光通りで車に轢かれた猫がバックミラーに映った。すごい速さで身体を捩らせていた。普通に生きていてあんなふうに身体が動くことはない、と思った。命を乞うための動きであると同時にそれは命が今まさに失われていることを示しているように見えた。踊りのように美しくはなかった。

 と、あの猫の最後の姿に意味を見出し物語に仕立てようとしている自分が気持ち悪く、その後はひたすら安全に気を配って運転をした。

 9時40分始業。5日ぶりの勤めは大きな問題もなく。出勤している人の数が少ないから夏期講習の校舎、みたいな雰囲気があってちょっとよかった。高校3年生の自分には受験勉強をする必要がなかったけども。講習には参加したけれどずっと机の下で寺山修司の『家出のすすめ』角川文庫の、を読んでは線を引いていたと思う。たしかあの夏休みに、図書室に入荷した新刊の『火花』を平野明が勝手に持ち出して教師に追いかけ回されていたんじゃなかったっけか。

 なんとなく体調優れず。19時10分頃退勤。東青森のユニバースで割引のシールの付いた肉じゃが、メンチカツをかごに入れる。一度は塩唐揚げを手に取ったのだが、今日はからやまで昼飯を食べた、というほしからのLINEを思い出して戻した。

 20時頃帰宅。熱を測ってみたが36.6度。とりあえず栄養をば、と水菜、キャベツ、きゅうり、トマト、茹でたささみのサラダ、かぼちゃのサラダ、枝豆たべる。シャワーを浴びたら髪の毛がたくさん抜けて、これを束ねたらドラッグストアにある白髪染めの色見本ができそうだった。新しい円形脱毛が今まさに誕生している。

 22時頃ほしが帰ってくる。出来合いの品を皿に盛って出す。「いい経験をした」と公用車を立体駐車場で擦った話。帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。

雑記

 

 「美しき青きドナウ」が「青き美しきドナウ」でないことは英文法の法則によるので日本語で言い表すならば後者でも差し支えないのだが、そもそもこのように単純な形容詞を二つ重ねられてドナウの方もよく黙っていられるな、とはべつに思わない。調べてみるとより正確な邦題(原題はドイツ語)は「美しき青きドナウのほとりで」らしい。結局人間を歌っているのだった。終点まで「美しき青きドナウ」がバスの車内で流れていたとして、自分はそれに反発あるいは闘争できるとは思えない。中学生の頃、国語の授業で『走れメロス』を読んだ感想を一人ずつ発表させられた。A4サイズの大学ノートを、罫線を縦に使うよう指導されていた。自分は「あらゆる『笑い』が多様な言葉で表現されている」というふうなことを言ったように記憶している。が、たった今青空文庫で『走れメロス』にざっと目を通したがそんなことは、なかった。さては太宰の道化を見破っていたか少女煉は。違う。ただ当時に比べたらちょっとは、いやだいぶましな人間になったんじゃないか。足袋を履いたつま先をむき出しにしてオフィス・レディをやっている。これが案外褒められる。

イウビン

 

 2月20日火曜日。

 相原さんからもらったドーナツおいしい。ミスタードーナツとかクリスピークリームドーナツとかじゃなくて大袋に個包装でたくさん入ってるような、小さくて、ぎとぎとしていて、甘いやつ。こないだ「菓子の類ではチョコレートがいちばん好きだ」と日記に書いた自分を馬鹿だと思った。ドーナツだろうが。いや違う。何をいちばん好きか決めなければならないという強迫じみた幻想にとらわれている心の姿がもっともくだらないのだということを教えてくれたのだ、ドーナツは。帰り道、旭町の地下道に「with love」と書かれた真っ赤なハートが落ちていた。

 酒を飲まない日。ほしさんが作ってくれたアスパラベーコン玉ねぎのクリームパスタおいしい。『クローズアップ現代』でロシアによるウクライナ侵攻の二夜連続特集。勝利することが戦いを終える手段だと思えないのは、自分が当事者ではないからなのだろう。気分悲しくなるからこんな映像は見たくないのだけど、見ないってわけにもいかないだろう。フランスの若者の志願兵だって増加しているとニュースで知った。

 

 2月21日水曜日。

 アスパムへ続く八甲通りの街路樹(何の木かはわからない)の枝の先に積もった雪がたまごのようで、一度は素通りしたが戻って写真を撮った。グッドモーニングワーク。

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 昼休憩で『立原道造詩集』読む。菊池信義に憧れたけれど金が無いからユニクロで買った黒のコートのポケットにこれを入れて歩いてきたんだ。巻末に載っている、「各詩の一行目を五十音順に並べた」というちょっと理解し難い索引。ア行に「郵便函」という言葉から始まる詩があった。「イウビン」なのか?

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 18時頃勤めを終えて帰宅。少し先に家に着いていたほしさんが雪かきをしていた。自分は車で出、福やとスコールへ行き買い物。総菜コーナーで3割引の肉じゃが。戻って夕飯の支度。疲れたのでカップ麺、冷奴、枝豆。サラダなど。出前一丁ジーロウ味、というやつ。よくわからない味がしてうまかった。