生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

雑記

 

 「美しき青きドナウ」が「青き美しきドナウ」でないことは英文法の法則によるので日本語で言い表すならば後者でも差し支えないのだが、そもそもこのように単純な形容詞を二つ重ねられてドナウの方もよく黙っていられるな、とはべつに思わない。調べてみるとより正確な邦題(原題はドイツ語)は「美しき青きドナウのほとりで」らしい。結局人間を歌っているのだった。終点まで「美しき青きドナウ」がバスの車内で流れていたとして、自分はそれに反発あるいは闘争できるとは思えない。中学生の頃、国語の授業で『走れメロス』を読んだ感想を一人ずつ発表させられた。A4サイズの大学ノートを、罫線を縦に使うよう指導されていた。自分は「あらゆる『笑い』が多様な言葉で表現されている」というふうなことを言ったように記憶している。が、たった今青空文庫で『走れメロス』にざっと目を通したがそんなことは、なかった。さては太宰の道化を見破っていたか少女煉は。違う。ただ当時に比べたらちょっとは、いやだいぶましな人間になったんじゃないか。足袋を履いたつま先をむき出しにしてオフィス・レディをやっている。これが案外褒められる。