生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

hard work, nerd walk

 

 9月26日火曜日。

 風邪を引いて会社を休んだ。弱っているのは体より気の方だけど。

 今年の頭、アスパム3階のヤングハローワークに通っていた。冬の晴れた陸奥湾を眺めながら数人のキャリアカウンセラーと何度か話した。彼らは私の話すこと全てを肯定した。仕事を探している人間の精神は脆くて扱いにくんだろうな、と今まさに求職中の身で思った。

 地元の出版社を受けて面接をしてもらったけれど不採用だった。他人の話をよく聞くことと自我を両立させて筆致に表すことは可能だろうに、と思った。要するに私の自我が強いことを遠回しに指摘された。そこの出版物にそこまで愛着がないことも見透かされての結果だとは思う。

 今の会社に勤めて半年が経つ。たまに残業が続くこともあるけれど休日も給与も賞与もそれなりだ。幸運なことに、自分が担当している業務は興味のある分野のため飽きるということはまずないのだけど、典型的な不注意の特性が業務に支障をきたしている。何をすればいいかは理解しているのに、不注意によってどうしても達成できないというもどかしさ。毎日あちこちから叱られている。好きでもないことを仕事にして金を稼ぐ覚悟はできていたのに……。自分の能力が満たないので、そのように器用な立ち回りができないのだ。先日、残業を終えて22時頃に桜川で信号を待っているとき、漠然と「300万円くらい貯まったら辞めよう」と思ったのだが、それより先に、むしろ300万円では済まされない損失を会社に与えてしまいそうである。

 そういえばいつだったか、『みんなのうた』を見ていたら玉置浩二が「あなたは一人じゃない」と4回歌ったので、いくらその声を以てしても「あなたは一人じゃない」という言葉を4回くり返されるのはさすがに耐え難い、と感じたのだが、「あなたは一人じゃない」という単純な事実こそが生きることの本質なんじゃないか……?と改めて(改めて、であることが重要)考えさせられたことは、やはり玉置浩二の歌声によるのだろう。「alone」と「lonely」の違いは物理的に一人であるか、そこに感情を伴うか、だそうだ。なんてったって私は英検3級ですから、スタバで「普通の大きさでお願いします」と注文したことがある(バケツみたいなマグカップに注がれた焦げた味のコーヒーで具合が悪くなった)。

 世話になった人に返せるだけの金は稼ぎたいと思う。とぎすまそう、な生き方を探す自分にまた戻ろうと思った。どうせまた明るい道に出るのだろう。落下してもいずれ明るい場所に着地するのだろうよ。