生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

不可解な明るさ

 

 2. 不可解な明るさ

 

 ”「私」と「他者」の関わりの中では、「与える人」と「与えられる人」という関係が成り立つが、そうではなく、与えあう人々の一員であること。常に種を撒き、水を撒く人であること。不断の努力を捧げる人であること。”

 

 水の流れを遡上するように思い返す。違和を繊細に感じ取ること。不自然の予感には、勇敢に立ち向かうこと。道に迷う人は、あるたったひとつの言葉に縛られている。能動的な生き方、それはいつか運命から使命に転じる。自然の中からさらに、逆らうべき運命を見出す。私は懸命に山を登り、自身の、本当に自然の、濁りのない始点に出会う必要がある。現在という腕力、過去の堆積を持つ人のように、私は駆け下りるべき山を有していない。だから、心を使い果たして、自身の薄情なことを臨む旅に出る。

 喪失を恐れるあまり何も所有しないのではなく、石から花が咲くような、そんな不可解な明るさを切望している。あるいは私は、一切を所有することなどできないのだ。すべては流れの只中であり、私はどの瞬間にも現在にいる。未来へ足を踏み入れるという感覚を味わえぬままに、走っても走っても、現在という野に立っている。

 激情の潮は引き、永久の干潮が始まる浜辺に、愛したという記憶、事実は死骸として打ちあがる。そこに舟はやってこず、街は栄えない。そして無感動が始まる。誰かがその広大な砂浜に水を注いでも、乾きはすぐに訪れる。もはや人間がその浜を満たすことはできない。

 私は、私自身の中に、他者から裏切られるべき心を有していない。その正義は、他者のものであり、私はその正義を認めることしかできないのだ。ゆえに、私を裏切ることのできるものは、私以外にはない。