生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

旅行者と生活者

 

 11月3日木曜日。文化の日

 久しぶりの休日に豪華な朝食。卵とパンとコーヒー。冷たい野菜があるとなお良い。叔母は卵を3個茹で、失敗した2個を啜るように食べていた。

 テレビを消し、洗濯機の音で過ごす。昨日の日記を読み返しながら(私は本当に、自分の書いたものを自分でよく読む)。いつまでも生きていたい、というあの日記のタイトルには意味や意志がないから良いのであって。いつまでも生きていたいなんて思わない、と思っていたから見つけてもらえたけれど、今日の私はいつまでも生きていたいと思っているんだろう。

 所有してしまった意志は言葉に換えられない。あるいは言葉に換えることで損なわれるところに意志の本当があるんじゃないか。

 街に対して人間が取り得る態度には旅行者と生活者がある。旅行者のように生活をし、生活者のように旅行する者もあるだろうが、私の日記は紛れもなく純粋生活者の日記だ。ここはパリではないけれど。堤川を「青森のセーヌ川」と棟方志功は言っていた気がする。

 洗濯機が止まった脱衣所でAuroraを聞いているとほしさんから電話があった。2分くらい話して切る。

 保苅瑞穂の訳によるラフォルグの『冬が来る』の、切り取られたある一節には陰鬱な心が見えなくてよかった。ただ全篇を見渡したならきっと私はそれを嫌いと言うだろう。やまびこさんが自身の詩を見せてくれた。「今夜 / わたしがなつかしむ / 古いものには / 順がある」

 自負というよりは甚だしい自惚れといったほうがいい、そういうものがない人間は書く人間に値しないんじゃないか。誰もが作家になれる時代など到来していない。見誤るなよ、と思う。それは私自身に対して。私が君の努力を知り得ないように、君も私の努力を知り得ないのだから。思う存分楽しんで。

 夜、チョコレートチャンククッキーを見ていたら「たしかに、川は水のかたまりだ」と思った。