水曜日。教えてもらって窓の外を見た。空気が澄んでいた。
床を拭く。宇多田ヒカル。棚からはみ出して積んであった本を適当にめくってはしばらく読む。
だが、自分だけの秘密の日記とは何だろう。もちろん誰にでも秘密はある。人に知られたくない事実があり心の深部がある。それを心のなかだけにしまっておくことができずに、こっそりと書きとめておこうとするのは何故なのだろうか。自分を確認するためにちがいないが、書く以上、いつか誰かに読まれることを予想して書くのではないだろうか。実際には誰にも読まれないと思い、読まれては困ると思って人は日記を書くのだが、誰かに読んでほしいという気持がどこかに潜んでいるのではないだろうか。
「日記についての日記 一九八三年十二月 / 矢内原伊作」『同時代』第四十三号
1983年にインターネットを送り込むことができたら、人々は日記を公開すると思う。文明が精神を変えるのか、精神が文明を変えるのか、考えようとしてやめた。もっと些細なことを考えるべきだと思った。
善蔵さんに言葉をかけてもらった。
自分が2016年から2019年頃まで書いていた『日記というものは本来他人に見せるべきではないということを忘れるな』というタイトルの(限りなく散文に近い)日記を読み返す。