生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

誕生日、命日

 

 火曜日。父方の祖父の誕生日であり命日。祖父が死んだのは2013年。祖父との思い出はあまりない。いつもサントリーのレッドを飲んでいて赤ラークを吸っていた。喋っているところをほとんど見たことがないが、小学生の頃、消しカスを床に落としたらものすごく怒られたことは覚えている。その後祖父は足が不自由になり車椅子で生活するようになった。間もなくして認知症になった。台所で固形のカレールーを口に入れ咽せていた。最後は施設に通うようになった。一度だけ、窓の外を指差して何かを言おうとしていた姿を見たことがある。たぶんどこか遠くへ行きたかったのか、どこか遠くへ行ったときのことを思い出していたのだと思う。初めて人の死顔というのを見た。祖父は明らかに死んでいた。それは生きている状態と比較することでしか知り得ない感覚だった。鼻や口に綿が詰められていた。いびきをかいて寝ている顔にも似ていたが安らかな顔、というのが自分にはわからなかった。父が自分にくれた名前には安らかの安の字が入る。火葬の前には祖父の顔を見ずに棺に花を置いた。母が「怖かったら見なくてもいいよ」と言った。祖父を焼いた炎の音は今でも脳裏で鳴る。人間の骨も初めて見た。やたら長い箸で骨を拾った。こんなことをこれから先幾度も経験するのか、とその時は思わなかったけれど、今ならばあんなことはできれば二度としたくないと思う。ただひとつ言えることは、祖父が死んだとき、自分は悲しくはなかった。祖父の死より、人間の死というもっと巨大で抽象的でいつまでも焦点の合わないものを見ていた。つまり、他人の目には映らないほど極めて小さく、それでいて恐ろしく具体的で自分の目にはあまりにも見えすぎる本当の悲しみというものを自分は今後経験することになるのだろう。

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「死ぬときは自分のことが懐かしくなると思う。」

 午後、弟とスーパーふじわらへ。明日は天気が荒れる予報なので今日のうちに買い出しに行く。鶏もも肉が安かったので明日は唐揚げ。カレー粉を買ってみた。浪館通りのローソンに寄り、いちごのロールケーキを母に買って帰宅。