生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

変身。それはとても

 

 11月1日火曜日。

 朝、何気なくテレビを見ていたらエルムのCMが流れて、駒井煉、ではなく蓮が手にしていた本が『美しい街 / 尾形亀之助』(夏葉社)であることに気がついた。

 ある会話の中でふいに口をついて出た言葉が「死ぬ日は選べない」だった。変身。それはとてもいいことだと今では思う。狭くて背の高い新宿のマクドナルド。

 昼、自転車で出る。新町のローソンで肉まんをひとつ買いフリースの右ポケットに突っ込む。古書らせん堂へ。外の棚から『心の科学 / ナイジェル・コールダー 中村嘉男訳』(みすず書房)をめくっているとガラス窓の向こうに三浦さんが見えた。手を振り陽気なポーズを披露しながら中へ。久しぶりに会えてうれしい。米の水、鰺ヶ沢、猫の鉄三。「割れた茶碗、そのまま置いとくなよ」と忠告してもらった。白目を剝いたまま応援してもらってありがたい。COACHのバッグが飾られたショーウィンドウの前で肉まんを食べ職場へ戻る。

 18時勤めを終えて出る。ブックポストに『ポール・ヴァレリーの遺言 わたしたちはどんな時代を生きているのか? / 保苅瑞穂』(集英社)を返却し自転車に跨る。成田本店しんまち店へ。今週のベストセラー第6位こと『スピノザ / 國分功一郎』(岩波新書)、手元に置いておくべき本こと『ポール・ヴァレリーの遺言』買う。

 自転車を漕いでいると背後からペダルのない自転車で迫ってくる弟。浪館通りを並んで走っていったん帰宅。「社会を把握するためには個人と集団、どちらの視点がより重要か?」荷物を置いてからハッピードラッグへ。サンガリアのレモンの炭酸水、生姜、ベーコン、グリーンラベル買う。

 19時頃帰宅。薄く切った生姜、にんにく、長ねぎの青い部分、パイカを鍋に入れ、醤油、酒、みりん、水を適当な分量で入れて火にかける。金箔入りのお神酒が余っていたからそれも入れた。グリーンラベル。

薬をくれとは思わない

 

 10月31日月曜日。

 書き続けていた日記を書きやめて久しいがそのことについて特別の苦痛を感じないことに嫌気が差してきたので今日からまた書き始めることにした。自分のことを野暮だと思う。

 昼、駅前広場のベンチ。昨日行われた市議会議員選挙を受け、計6議席を獲得した日本共産党の議員らによる演説を聞きながら飯。もっと面白いこと言えないのかよ、と思った。

 18時勤めを終えて駅ビルラビナへ。指先を下に向け手の甲をかざして自動ドアを開けた。幽霊の仮装。別に思い入れのない4階のさわや書店で『青森の暮らし 436号 コーヒー特集』(グラフ青森)買う。660円。ドトール青森新町通り店についての記述がなかったので私が加筆しようと思う。駅前で勤めを終えたほしさんと落ち合い油性ペンで「目次」と書かれたクリアファイルを受け取って別れる。街路樹から落下した一枚の葉が私の首に触れた。

 19時前帰宅。キンミヤの小さいボトル半分をウィルキンソンジンジャーエールで適当に割って飲んだ。職場から受け取った封筒を開けるといつか返答したストレスチェックの結果だった。いちおう読んだが毒にも薬にもならないことが書かれてあったからすぐに捨てた。薬をくれとは思わない。毒をくれとは思う。そうすることでしか自分の思う正常には近づくことができないから。まっとうな人生に唾を吐きつつも皿を洗いながら英単語を暗記している。英語に限って言えば、高校入試で私の解答用紙に誤答はひとつとしてなかったし高校に入学してからの全国模試で19番を取ったことがあるが、そこで大人たちから注目されたことで奇妙な自意識が働いて勉強することを一切やめてしまった。コンビニのアルバイトに明け暮れて廃棄の食料で肥えた豚になった。何か真の意味で、自分は本当に頭が悪いのだと思う。

 私という人間はやり直したい過去すら持ち合わせていないし他人の諦念に加担する潔さもない。本を読めば人間がましになると思っていたけれどそう思って本を読む人間の浅はかさを本の側は見透かしているだろうとも思う。しかし読み書きくらいしか私にはすることがなく、なんとなく、浅虫の踏切の風景が思い出された。

うれしいからでしょ

 

 10月22日土曜日。

 9時過ぎ歩いて出る。ラビナの前で盛さんと落ち合い、ワ・ラッセ西の広場と青森駅前ビーチへ。AOMORI COFFEE FESTIVAL 2022。本部のテントでは、ゴミを減らすためにカップが貸し出されていたり、グラフ青森の『青森の暮らし』の最新号、コーヒー特集が売られていた。

 弘前の石屋が趣味でやってるコーヒーを買って飲む。朝食代わりにオインクのスパイスチーズケーキ。姉へのお土産に& Laboratoryの型抜きクッキー、ほしさんへのお土産に野口珈琲店のドリップコーヒー、蔵王の燻製ナッツの店で「粉砕したウイスキーの樽で燻したミックスナッツ」を買った。

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 13時半過ぎ駅前で盛さんと別れる。「煉さんと来れて、今年一番楽しい思い出ができました」と言ってもらった。楽しかった。

 13時過ぎほしさんが来る。車に乗せてもらってヤマダ電機へ。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビなど見る。ネット回線の契約をどうするか。

 ブックスモア青森中央店へ。2階の漫画の棚から『部屋干しぺっとり君 / 堀道弘』青林工藝舎買う。panpanyaの新刊『模型の町』が出ていたのでほしさんが買う。多和田葉子の新刊。

 大野のカブセンターでタカラ焼酎ハイボール、グリーンラベル、ジムビームのオレンジ、ほろよいのレモンライムサワー、水、豆腐買う。刺身売り場で鰹のたたきを買うか迷っていたら他の客が最後のひとつをかごに入れた。悔しい。

 いったん帰宅。ごろごろしながら漫画を読む。ぺっとり君とてもおもしろい。

 18時頃出てもぐらやへ。しょっちゅう行ってるのにまだ道に迷う。丸眼鏡が似合っている熊谷さん。あらかじめ頼んでおいた料理を受け取る。いつもよくしてもらってありがたい。1,500円でたくさん作ってもらった。

 スーパーふじわらに寄って平目の刺身を買ってから帰宅し乾杯する。にんじんの浅漬け、つくねチーズ串、もつ煮タコス、鶏ハムなど。おいしい。トリプルファイヤー吉田のオーディションにやってきたヤマモトさんが面白くない。吉田さんが「踊る習慣がない」と言っていて、いいなと思った。くるりの『HOW TO GO』。背中を叩きたい気持ち。体に合わないハイボールを飲んだら案の定赤くなったが楽しかった。

簡単な暗い逃げ道

 

 10月21日金曜日。

 駅前の広場でUさんとばったり会う。「ヘッセの『車輪の下』は高校生の頃に読んだよ」

 古書らせん堂へ。外の棚を見ていると店のそばにある倉庫から三浦さんが出てきた。水漏れの小噺。この頃は佐藤洋二郎の小説に夢中になっている、と。ツイッターで見た『忍土』の帯には「—どう生きても、ためらいがある。」とあった。11月1日に岡造道に開店するというブックカフェとバーの店『ボヘミ庵』の話。イトーヨーカドーくまざわ書店でアルバイトをしたい、と相談した。『狂人日記 / ゴーゴリ 横田瑞穂訳』岩波文庫、『人間の土地 / サン・テグジュペリ 堀口大學訳』新潮文庫、『さすらいの記 / ヘルマン・ヘッセ 尾崎喜八訳』講談社文庫買う。あわせて1,000円。

 揚げるより焼いたほうがうまいのに、と思いながら餃子を揚げて食べた。何も覆されなかった。

 りんご箱を使って本屋の真似をした。一冊だけを選ぶとしたら私だって『新版 夜と霧 / ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子訳』みすず書房を選ぶだろう。疲れ果て、床で寝る。

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けわしき道を経て星に達す、なのだから

 

 10月20日木曜日。新聞広告の日。

 勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征

 というのは渋沢栄一による漢詩だが、「私は青天を衝く勢いで 白雲を突き抜けるほどの勢いで進む」、大河ドラマ『青天を衝け』で放送されたこの一節は誤訳らしい。

 正しくは「青天をつく勢いの岩山を、腕まくりして登る。山のモヤは白雲に達するほどであり、手にツバをつけて行く」。青天を衝いてるのは渋沢栄一でなくて山なのだった。

(参照『青天を衝け』第7回

 今日は母親の誕生日だから駅前でバタークリームのケーキを買った。母親は「生まれてから今日まで、楽しかったことがひとつもない」と言ったことがある。

 かつて自分が『日記というものは本来他人に見せるべきではないということを忘れるな』という題で書いていた日記。同じ町に暮らす人たちにすら会えなくなるのだろう、という気分が本来人に会うために必要な努力の存在を思い出させる。私の脳の欠陥!

最後に眠ったのはいつ

 

 10月19日水曜日。

 曇り。リンゴ・スターへのあこがれ。8時頃自転車で出る。途中で激しく雨が降る。着ていたフリースが濡れて重い。20歳の頃にリサイクルショップで買ったやつ。かっこ悪くて仕方がないが似合っているので未だに着ているしこれからも着ると思う。

 食事をしながら本を読む女性。200ページくらいある単行本の終盤。市民図書館の7階へ。新着本の棚から『ポール・ヴァレリーの遺言 わたしたちはどんな時代を生きているのか? / 保苅瑞穂』集英社借りる。『プルースト・印象と隠喩』の著者であることを思い出した瞬間の、脈絡のなさが心地よかった。

 外へ出る。冷えた空気の匂い。人恋しさはいつも季節の一歩後をついてくる、みたいなことを思いついたけれど自分なんていつもみじめに寂しがってるじゃないか、と思い直して信号を無視した。人並みの欲望を抱えてる、と三軒茶屋松屋で牛飯を食いながら話した人の言葉の意味が今さらになって理解できた。絶望癖なんてさっさと捨てたほうがいい。

 17時頃帰宅。『ポール・ヴァレリーの遺言』第4章「機械文明のなかの人間」を読む。自分が一国の文化の衰退を食い止めようなんて気概を持って本を読んでるわけがないけど。下品で単純な本を書くことだけはしたくないと思う。UCCの「職人の珈琲」というドリップコーヒーがおいしい。

話はそれからだ

 

卵焼き

 不毛すぎてうんこよりも肥やしにならないのであなたのほうが下水道を通ってどこかへ流れ去ってほしいです、と思う質問こと「卵焼きは甘いのとしょっぱいのとどちらが好きですか?」と、書きながら思ったがべつにこんなひどい言われ方をするほど悪い問いではなかった。

 勤めのある日は弁当箱に米とその他を詰めて持っていくようにしているのだが、あえておかずと表現しないのはそれらが焼いたブロッコリーであったり茹でたささみ肉であったり茹で卵であったりするからで、私が昼にひとり駅前の公園で食べているのはご飯とおかずではなく炭水化物とたんぱく質であり、さらに言えば食べるという表現も怪しい。養分を摂取しているというほうが正しいかもしれない。

 しかし今朝は目が覚めて啓示があった。卵2個を溶きほぐし、砂糖大さじ1と1/2、 醤油大さじ1/3を入れて混ぜた。中火で熱した卵焼き用の四角いフライパンに油を薄く塗り、十分熱くなったら卵を流していく。巻く回数は4回と、いない神に誓っている。奥から手前に向かって巻く。水は海に向かって流れる。思ったより表面に焦げ目がつかず、最後はぎゅうぎゅうと押し付けて焼いた。

 甘い卵焼きの名に恥じぬ甘みで、これはこれでご飯に合わない。明らかに砂糖を入れ過ぎだ。卵2個に対して大さじ1でも多いと思うが次はこれでやってみる。しょっぱい卵焼きが好きだと言い切る前に、甘くてうまい卵焼きを作れるようになる、話はそれからだ。

 

手羽元のB級煮

 ハッピードラッグ久須志店の精肉コーナーで「国産手羽元B級品」という肉を発見した。大きさはまちまちだが13本入りで327円、というのが果たして安いのかそうでもないのかよくわからないが買った。あえて「B級品」と表記することには何かしらの理由があるのだろう、その真相を自ら解明したいという好奇心が勝った。

 卵4個を沸騰した湯で8分茹でる。フライパンに油を敷いて熱し、包丁の腹で潰した生姜とにんにくをそこに加えて油に香りを移した。手羽元を並べて中火で焼く。表面に軽く焼き目をつける程度でよいのだと思うがしっかり焼いてしまった。火を止めて酢と水をそれぞれ100ccずつ加える。砂糖大さじ2、醤油大さじ3と1/2、はじめに茹でた卵を入れて再び中火にかける。クッキングシートで作った落し蓋をして10分煮る。この工程でなんとかやわらかくなってくれるんじゃないかと淡い期待を寄せたがだめだった。弱い火力でもっと長い時間煮ればいいんだろうか。10分経ったら落し蓋を外して5分ほど煮詰める。ここで汁気にとろみがついた。

 うまい。しかしこの肉の硬さはB級品だからではなく私の調理に落ち度があったからに違いない。とすれば私は今回B級品の謎を解明することができなかった。レイトン教授であればどうだろう。レイトン教授と悪魔の鳥。英国紳士のことは知らないがこれは指先を汚しながら食うのがいい。強気の中火か、弱気の強火か、ただの火加減によっても私の精神のあるべき姿が問われている。