生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

騒がしき万緑の引力

 

 2022年8月の雑記『騒がしき万緑の引力』を掲載する。過去に書いた文章を編んだ本を制作していたのだけれど、そんなことをしている暇があったら新しいものを書けよ、と自分自身に対して思ったので。

 

 騒がしき万緑の引力

 

 古川から国道へ出る。県庁前を歩いていると号砲が鳴り、カラスの群れが一斉に飛び立った。堤町の交差点を海手へ折れて本町に入る。屋台からイカの焼ける匂いがする。網の上のホタテ貝なら盗めそうな気がしたけれどやらなかった。手を火傷するだろうから。本町一丁目の交差点を税務署通りに入って再び国道へ出た。3年ぶりのねぶたを追って、気がつけばこの夜は17キロメートルという距離を歩いていた。同じところをぐるぐる回り続けた。どこへでも行けるのは体か、心か?

 

 6年前、19歳だった。隅田川で花火を見た帰り、浅草から上野まで歩いた、鼻緒が擦れて痛いから裸足で。街灯の下に木製の椅子があった。腰掛けた途端に崩れそうな。一緒にいた人が「自分は10年後どうなってるのだろう」と言った、そのこと(言葉ではない、ことだ)を私は度々思い出すようにしている。予測も予報も当てにならない。過去の自分が「想像力は現実に屈しない」と書いていて、嘘だろ、と思った。そんな強靭な想像力を持っていたのなら、こんな言葉は使わないだろう。……どうだろう? 果てしなく(続いているように見える)敷かれた鉄路のどこかで果てることを、覚悟しているつもりではいる。

 

 大雨の被害に遭った人々に対して何も思わないはずはなかったが何も行動できなかった。車が運転できないという理由で。行動できないので人間は祈りを発明したのだろうか、と思った。祈りを発明した後の人間はより一層行動を重んじる必要があるなら、祈りの態度でいったい何が救えるだろうと悲観的な気分になった。
「祈りは祈る人間の内側に変化を起こすための行動じゃないのか」と、今年の6月16日の日記に自分が書いていたのを見つけた。被災したりんご農園を励ます言葉が全国から寄せられたという記事を東奥日報で読み、目の前が明るくなった。屈折しているのは私だけなんじゃないかということがすでに錯覚であると、理解している。その理解が正しいかどうかは別として。

 

 部屋の本棚を眺めていたら現代詩文庫の石原吉郎詩集が2冊あることに気がついた。第19刷のほうをリュックサックに入れて部屋を出た。市民図書館の7階の、居酒屋弁慶の看板がよく見える席で読んだ。私はアウシュビッツやシベリヤに値するものを持ってない。私には戦後が無いのではなく戦後を知らないだけなんじゃないか。ただひとつ確かなことは戦後を生きた詩人たちと地続きの時間を生きていること、これもただの願望かもしれない。中央市民センターで見た、焦土と化した青森市街の写真、窓の向こうに木々のざわめきを感じたことを、いつかは忘れてしまうだろう。錆びた匙は日光を反射しないけれど木漏れ日を掬うことができるとか甘いこと、言ってしまいそうになる。街路に植わっている白樺を見ては樺美智子、と思う。私は何と戦えばいいですか? と、時々誰かに尋ねそうになるけれど。

 

 You are not alone しかし We are all alone なのだ。今を生きる人間がやるべきことは今を素描すること。