生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

ボロいプラネタリウムの近くに住みたかった

 

 ボロいプラネタリウムは学区の外にあったのだけれど、わたしたちは、わたしたちだけでそこへ行くことを、さまざまなものにゆるされていた。

 ガラス越しに、わたしたちの住むちいさな町の、さらにちいさなジオラマがあって、「おうし座」とか「ふたご座」とかが書かれたボタンを押すと、星座が光るしくみになっている、あの展示のことをわたしたちは好きだった。しかし、「おひつじ座」だけは何度ボタンを押したって光らなかった。だから、唯一光らない、ひらがなの「へ」みたいな形のあれが「おひつじ座」なのだということを、わたしたちはよく知っていた。わたしたちが生まれる前、それは光っていたかもしれない。

 ボロいプラネタリウムは、市民館の4階にあった。それは、なかなか大変なことだった。エレベーターという、赤い扉の、箱のかたちをした乗り物もあったのだけれど、わたしたちは階段をのぼりたがった。わたしたちが箱の中に詰まって、宇宙のあるほうへ上昇してゆくのは、むしろ自然なことのはずだったのに。階段をのぼるその途中に、年じゅう、空襲の写真が展示してある部屋があった。はじめて市民館へやってきたとき、わたしたちはそこへ入って、燃えている町や燃えたあとの町の、色のない写真を見た。色がなくても、燃えているとわかった。密度の高い文字はまだ、読めなかった。あれから、だれも、一度も、あの部屋には入っていないと、思う。

 踊り場の窓には、折り紙で作った星が貼ってある。4階の「プラネタリウム」の看板が見えるまでは決して止まらずに、わたしたちは階段をのぼりつづける。宇宙が、近づいてくる。ちがう。宇宙に、わたしたちが近づいてゆく。

 宇宙のすこしの部分が燃えている写真に、わたしたちは釘付けになった。わたしたちは、うつくしいものをうつくしいと言うことに、この頃から抵抗があった。うつくしいと言いたいとき、わたしたちは決まって「きれい」と言った。きわめてふざけた感じで「きれい」と言って、わたしたちは「きれい」しか言えなくなってしまった。ここへ来るたび、あたらしい言葉を獲得したいと、わたしたちは思っていた。あまりにも遠いところで燃えているから、あの光は「きれい」なのだと、わたしたちは知っていた。だれも、「きれい」以外は言わなかった。わかっておくべきことのすべて、それが何であるか、わたしたちは、わかっていたつもりだった。だまって、それでも、わたしたちはわかりあっていた。

 16時に、重い扉をお姉さんに開けてもらう。「立入禁止」の看板は「たちいりきんし」と読み、「なかへはいってはいけません」のことだと、お姉さんが教えてくれた。おおきな、名前は知らない、あの機械を囲むようにしてある椅子、椅子、椅子、椅子、椅子、がいくつあるかを、わたしたちは数えたことはなかったけれど、わたしたちはすべての椅子に座った。東の空、西の空、南の空、北の空、あの星、星、星、星、星はぜんぶちがう星で、いくつあるかなんて、わたしたちには数えられるはずもなかった。「わあー、と言ってみても、星はよろこんだりしないから、いいね」と言ったのはだれだったか、わたしたちはだれも、覚えていない。だれが、それよりもだいじなことを、わたしたちはまだ、知らなかった。お姉さんはいつも、伏し目がちだった。「まつげの下に、星を隠しているの?」とだれかが言って、お姉さんは「名前がない星も、あるんだよね」と言った。

 にせものの星のほうを、わたしたちは好きだった。わたしたちは、無意識のうちに行われている学習という行為を好きだった。その時間ごと好きだった。階段をかけおりて、市民館を出て、17時のチャイムが鳴って、にぎった自転車のハンドルがつめたくなっているのが好きだった。

 ボロいプラネタリウムが遠くなってゆく。光をうつくしいと言う、その退屈のこと。光を追って、もっと遠くへ行った人のこと。壊れたおひつじ座のこと。生まれた日に、星が与えられること。その運命を、信じている人のこと。お姉さんが隠している、名前のない星のこと。それでも燃えている、炎の粒のこと。燃えかすから再生した町のこと。重力の絶対性を、結露した窓の折り紙は懸命に否定しようとして、ほほえんでいた。まだある、この先のこと。

 

 わたしたち、今は何に憧れていますか?

 

(2018年)