Ego sum cogitans
10月13日金曜日。
7時半起床。白米、サラダ、くらし良好のたまごスープ、昨日余り物で作った野菜と肉の炒め煮、納豆、オクラを茹でて刻んだやつ。食べ終えた皿を流しに置いたまま出る。
9時40分から勤め。ひどく手に汗をかき何度もティッシュでパソコン周りを拭く。資料が汗で濡れる。要領が悪くていやになる。20時40分頃まで。
21時10分頃帰宅。今朝洗い損ねた皿を片す。カブセンターで買っておいた醤油だし味の鶏肉を玉ねぎと合わせて焼き、根本さんから畑でもらったねぎを散らす。余り物のとりごぼうのつみれと豆腐とねぎを雪平鍋で煮たやつ、CGCの冷凍餃子、サラダ。22時頃準備を終え、YUKIを聴きながら踊る。疲れて居間の椅子でサルトルの『嘔吐』読む。
記すことなし。存在した。 水曜日
23時頃晩飯。グリーンラベル。鎮座DOPENESSの動きを真似る。1時半頃就寝。
永久に失ってもいいと思えるものが君にはあるか
10月12日木曜日。
6時58分頃起床。二度寝をしたとて私は7時前には起床したのだ、ということを自分に言い聞かせるためにこうして書くのだ、ということを自分は惨めに感じているのだ、というところまで記しておく。
朝食に白米、サラダ、おでんの残り、納豆、オクラを茹でて刻んだやつ。床に掃除機をかける。いつもは9時を過ぎてもごみ収集にやってこない業者が、今日は9時にやってきたので慌てて出る。小さな声で謝りつつ生ごみの入った袋を業者に手渡した。先週の日曜に片した畑のごみが4袋くらいあったのだが出しそびれた。
9時40分から勤め。人事からのメールを追えておらず、9月26日から1時間単位で時間休が取得できるようになっていたことを今日知った。
18時50分頃退勤。田我流とカイザーソゼを聞きながら寄り道せずに19時20分頃帰宅。『サラメシ』見る。コーヒー飲みながら返信できていないメールや昨日の日記など。
Instagramを見ていると永久脱毛の広告がしょっちゅう出てきていや。桑田佳祐が昔ラジオで「脇毛は永久脱毛しちゃダメ」と言ってた。まあべつに桑田の意見などはどうでもいいのだが、私が永久に失ってもいいと思えるものは何だろうと考えながらシャワー浴びる。肌に剃刀を当てたが滑らす手を止め、とりあえずこのクサった世に抗うため今日から一切の毛を剃らないことに決めた。風呂場から出て洗面所を簡単に掃除した。
明日の弁当用に卵、ひき肉を炒めてそぼろ、白菜、キャベツ、玉ねぎ、ぶなしめじ、パプリカと豚こま切れ肉を炒め煮にしたやつ作る。
0時過ぎ、腹が減りおでんの残りを台所に立ったまま食べる。実家の斜向かいに越してきた人が「どうも、家主です」と言って父に投げてよこしたりんご、きのう飲み残した尾瀬の雪解け。多和田葉子の『海に落とした名前』をめくる音。炊飯器には炊き上がりまでの時間が表示されているから、私はあと6時間は眠ることができる。ところで私には永久に失ってもいいと思えるものは今のところ、ない。
落第生
10月11日水曜日。
6時50分頃起床。冷凍した炊き込みご飯、サラダ、ぶなしめじと油あげとネギの味噌汁、赤ピーマンと黄パプリカによって共産主義を感じさせる青椒的某の残り。洗濯物を干して窓を開ける。台所周りの拭き掃除。プラスチックごみの日。
9時40分から勤め。ひまだった。
午後休をもらって14時過ぎ退勤。みちのく銀行のATMで40万円おろして見上げた空の青さを私はいつまでも覚えているだろう……来るべきパソコンの支払いのことは一度忘れて。14時40分頃帰宅。焼きうどん、炊き込みご飯、青椒的某がひとつに盛られた皿を電子レンジで温めて食べる。YouTubeで、香川で田舎そばの店をやってるおばあちゃんがおでんを作ってる動画を見ていたら、自分にもおいしいおでんが作れそうな気分になってくる。卵を水から4個茹でる。うち3個は明日が賞味期限のやつ、もう1個は新しいパックから開けたやつ。

ゆでたまご大学、落第。
16時頃出る。八甲田大橋の下は工事中のため迂回。山与不動産の前を通りサンロードの脇から観光通へ出、環状線沿いのブックスモアへ。『文藝』立ち読む。『なんね / 平出奔』に対する柴崎友香と松田青子による選評に首を傾げながら。
16時半頃出、婦人科のある病院へ。血圧を測ると66/110。最高血圧が100を超えるようになった。先月から処方してもらっている低容量ピルが切れたのでもらう。問診で「経血の量は多いですか?」という質問があり、他の人がどれだけ股から血を流してるか知らないので「ふつう」と答えたが、薬を服用したら圧倒的に経血の量が減ったので多かったのだと思う。待つ間に『あなたに安全な人 / 木村紅美』を72ページまで。受付で1,060円払う。
17時半頃終えて出る。カブセンターへ。野菜揚げ、ごぼう巻き、こんにゃく、30%引きのとりごぼうつくね、大根、根曲竹の水煮買う。1,000円の買い物で1枚もらえるシール。鍋やフライパンなど調理器具が描かれた全5種類のシールを規則正しく貼ることが楽しみなのだが、包丁のシールだけがなかなか手に入らず、ここしばらくはこのことが原因で気分が塞いでいた。「実習中 お急ぎの方は他のレジをご利用ください」のレジに並ぶと、実習中の店員から包丁2枚もらえてとてもうれしい。あの店員は客をこんなにも喜ばせたのだから早急に実習の腕章を取るべきだ。
18時20分頃帰宅。おでんを煮る。具材を入れすぎたので鍋から溢れてガスコンロの火が消えた。もうひとつ鍋を用意し半分移し替える。ふたりで暮らしているのでひとりにつき鍋ひとつでちょうどいい。
20時過ぎ夕食。おでん、長芋を切ったやつ、長芋の皮を揚げたやつ、サラダ、もらいものの美加美食品の冷凍焼き鳥。ねぎまの袋をうまく開けられず。「これは、開かずのねぎまだ」。うまいこと言えてうれしい。冷やしすぎたグリーンラベルはコップに注ぐと氷菓のようになった。尾瀬の雪解けを飲みながら居間の椅子で眠ってしまう。『中動態の世界 意思と責任の考古学 / 國分功一郎』(シリーズケアをひらく)をそばに置いただけ。少年老い易く全部やり難し、であるというのに。
全部やる
10月10日火曜日。
雨。朝起きられず。7時15分頃起床。栗ときのこの炊き込みご飯、秋鮭と根菜のサラダ。掃除機かける。資源ごみの日。
9時30分から勤め。びんづめ のあいじょ うことチ オビタド リンクを注入。郷ひろみの仙台公演で座席のトラブルがあったらしい。自分が関わったのではないが肝が冷えた。休憩時間に福利厚生アイス(100円)食べる。
19時頃勤めを終える。東青森のユニバースで淡麗、淡麗プラチナダブル、豆苗、アボカド、トマト、長芋、豆腐、油固め剤買う。
19時40分頃帰宅。冷蔵庫にあった赤いピーマン、黄色いパプリカ、たけのこ、鶏肉で青椒的某(ちんじゃおてきなにがし)を作る。アスパラガスと賞味期限切れのベーコンを炒めたやつ、山形のお土産のだしをのせた冷奴、サラダ、電子レンジで6分温めるだけできりたんぽ鍋ができるレンジ de たんぽ。お酒飲んだら何もできない、じゃなくて全部やる。来月に南郷で開催されるエルメート・パスコアールと折坂悠太のライブのチケットを買った。
もしも私が間違っていないなら、堆積して行くすべての徴候が私の生活の新しい破壊の前兆であるなら、ああ、それは怖ろしい。なにも私の生活が豊かであるとか、重要であるとか、貴重であるとかいう意味ではない。しかし私は怖れるのだ。生れようとしているものを。私を奪い去ろうとするものを。ーそして、私をどこへ連れて行こうというのか。
『サルトル全集 嘔吐 / ジャン=ポール・サルトル』(人文書院)
ソファの上で赤子を抱いてみたい、クレオ・ソルのように。
書きたいけれど書くことができないのです
10月7日土曜日。
「いちばんよいことは、その日その日の出来事を書き止めておくことであろう。はっきり理解するために日記をつけること。取るに足らぬことのようでも、そのニュアンスを、小さな事実を、見逃さないこと。そして時に分類してみること。どういう風に私が、この机を、通りを、人々を、刻みタバコ入れを見ているかを記すべきだ。なぜなら、変ったのは〈それ〉だからである。この変化の範囲と性質とを、正確に決定しなければならない。」
と、古書らせん堂の外の均一棚から何となく手に取ったサルトルの『嘔吐』(人文書院)の冒頭に書いてあったので手にしたまま店に入った。三浦さんに会えてうれしい。今度エルメート・パスコアールというブラジルの笛吹きじいさんと折坂悠太が八戸・南郷でライブをするらしいので、そのポスター掲示のお願いも兼ねて。海外文学の棚前の床に積まれていた(といっても床に敷いた木の板の上、であるが)本は片されていた。すぐれない体調は、私と日本酒の一杯でも飲み交わしたら治るのではなかろうか。
昨日、仕事の休憩時間に読んだ『現代詩論大系第一巻』(思潮社)の中から、木原孝一の『現代詩の主題』にいたく感動したので『木原孝一詩集』(現代詩文庫)買う。巻末の夏川圭による『詩人におけるリアリティーのために』。あわせて買った『川崎洋詩集』は帰った後に部屋の本棚を見たらあった。『石原吉郎詩集』も2冊ある。
へば!と言って別れた後は草の上に寝たい。ヘッセの『車輪の下』で読んだみたいに木の枝に糸をくくりつけて釣りをしたい。デパ地下、という言葉を使いたくはない。
母親を、11月のTHE ALFEEのコンサートに誘った。それを百貨店のハンカチ売場に勤める叔母に伝えたら「喜ばないからやめた方がいい」と言われたのでやめた。叔母は私に会ってまず「お元気?」とふざけた調子で訊いて、私はそれを好きだと思った。
心を失うということは不可能なのかもしれない、と気づかされてよかった。死刑囚に。インターネットで無料でできる診断のことを当てにしちゃいけないよ。
書きたいけれど書くことができないのです
と書くことはできるのですが
以前買った方の『川崎洋詩集』のこの部分に鉛筆で丸がついていた。
hard work, nerd walk
9月26日火曜日。
風邪を引いて会社を休んだ。弱っているのは体より気の方だけど。
今年の頭、アスパム3階のヤングハローワークに通っていた。冬の晴れた陸奥湾を眺めながら数人のキャリアカウンセラーと何度か話した。彼らは私の話すこと全てを肯定した。仕事を探している人間の精神は脆くて扱いにくんだろうな、と今まさに求職中の身で思った。
地元の出版社を受けて面接をしてもらったけれど不採用だった。他人の話をよく聞くことと自我を両立させて筆致に表すことは可能だろうに、と思った。要するに私の自我が強いことを遠回しに指摘された。そこの出版物にそこまで愛着がないことも見透かされての結果だとは思う。
今の会社に勤めて半年が経つ。たまに残業が続くこともあるけれど休日も給与も賞与もそれなりだ。幸運なことに、自分が担当している業務は興味のある分野のため飽きるということはまずないのだけど、典型的な不注意の特性が業務に支障をきたしている。何をすればいいかは理解しているのに、不注意によってどうしても達成できないというもどかしさ。毎日あちこちから叱られている。好きでもないことを仕事にして金を稼ぐ覚悟はできていたのに……。自分の能力が満たないので、そのように器用な立ち回りができないのだ。先日、残業を終えて22時頃に桜川で信号を待っているとき、漠然と「300万円くらい貯まったら辞めよう」と思ったのだが、それより先に、むしろ300万円では済まされない損失を会社に与えてしまいそうである。
そういえばいつだったか、『みんなのうた』を見ていたら玉置浩二が「あなたは一人じゃない」と4回歌ったので、いくらその声を以てしても「あなたは一人じゃない」という言葉を4回くり返されるのはさすがに耐え難い、と感じたのだが、「あなたは一人じゃない」という単純な事実こそが生きることの本質なんじゃないか……?と改めて(改めて、であることが重要)考えさせられたことは、やはり玉置浩二の歌声によるのだろう。「alone」と「lonely」の違いは物理的に一人であるか、そこに感情を伴うか、だそうだ。なんてったって私は英検3級ですから、スタバで「普通の大きさでお願いします」と注文したことがある(バケツみたいなマグカップに注がれた焦げた味のコーヒーで具合が悪くなった)。
世話になった人に返せるだけの金は稼ぎたいと思う。とぎすまそう、な生き方を探す自分にまた戻ろうと思った。どうせまた明るい道に出るのだろう。落下してもいずれ明るい場所に着地するのだろうよ。
一箱古本市「はなかり市」
一箱古本市「はなかり市」

一箱古本市は、2005年に東京・谷根千で始まった「不忍ブックストリート」以降、全国各地で開催されています。
この「はなかり市」は、今回が第1回目の開催となります。誰でも本屋さんになれる1日です。今回は10ものお店が集まりました。いつもとはひと味ちがった本に出会えるんじゃなかろうか。
みなさまのご来場をお待ちしております!ぜひ、あそびにきてくださいね。
【開催日時】
2023年11月4日(土)10時~16時
【場所】
青森市新町1丁目13-7 和田ビル2階 えん(古書らせん堂 2階)
【出店】
・一味屋
・カラトポ
・SAN Net
・指紋生成
・蒼空ん家の今日の本棚
・積読道つんつん座
・なると屋
・本屋らむねくり
・ミツバチ舎
・もぐらや
■ 代表あいさつ

跳人(はねと)の草履が熱気を踏み散らしてつぎの季節へいくんだなあとか思っていたのですが、まだまだ青森にも夏は停滞しているもようですな。そんな八甲田の山を歩いて、たどりついた大岳の山頂にはまさに激情!といった風が吹いておりまして、それが皮膚に触れるとまあとんでもなく冷たかった。雲はあまりにもはやく行き過ぎてしまって、追いつけないな、と思いました。そうやって、知らず知らずのうちに取りこぼしてきた、とどめておくべきだった出来事と、それに伴う感情が、あったんだろーな、と思いました。生き直そう、と思いました。
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で感じやすいものじゃないですか?
平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』のこの一節を、私はとても好きです。
前置きが長くなってしまいました、失敬!
2023年11月4日土曜日、青森市新町にある和田ビルの2階、「えん」さんの空間をお借りして、一箱古本市「はなかり市」を開催することになりました。私の大好きな、古書らせん堂の入っているビルです。
企画と開催にあたり、ご協力と励ましをいただいております、古書らせん堂三浦さん、NPO法人「SAN Net」代表根本さん、和田ビルオーナー和田さんとそのご家族のみなさん。そして友人たちに、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
「はなかり市」という名前は、敬愛する板画家・棟方志功の『華狩頌』からいただきました。

(青森県立美術館で開催された『メイキング・オブ・ムナカタ』にて)
「けものを狩るには、弓とか鉄砲とかを使うけれども、花だと、心で花を狩る。きれいな心の世界で美を射止めること、人間でも何でも同じでしょうが、心を射止める仕事、そういうものを、いいなあと思い、弓を持たせない、鉄砲を持たせない、心で花を狩る」
『板極道 / 棟方志功』(中公文庫)1976年
私はこの作品とスコさんの心意気が大好きで、心で花を狩る人間でありたい!と日々思うのです。そして、これからつくる一箱古本市が、心で花を狩る人たちの集う場所になればいいなあと思い、お名前を拝借してしまいました。スコさんから怒られたら、違う名前を考えなきゃいけないけど...。
さて、「はなかり市」の絵は、大切な友人(実家がまあまあ近所)であり、ものをつくる人として尊敬しているデザイナー・KOUKISAITOさんに描いていただきました。ありがとーございます!

「文化を広めていくというのは、未来に伝えていくことだと思い、それはこの個人的な風景をずっと覚えていることと意味合いが似ているような気がしました。」
私は、さいとうさんからいただいたこの言葉も、ずっと覚えていたいと思います。
読むことと書くことを通じて得たすべての出会いに、読むことと書くことを通じて報いること、そしてそれを続けていくことが、私のやりたいことです。
湿っぽいのはきらいだネ!と、思うんです。ただ、本の向こうには生きた人間がいる、あるいは生きていた人間がいたという「こと」が、私にとってはなにより大切です。本は決して「もの」ではないので。
さあ、記念すべき!第1回目の開催となりますので、ご参加・ご来場されるみなさまにはご迷惑をおかけする部分が多くあるかと思いますが、まずは種をまく第1回目として努めます。どうぞよろしくお願いいたします。
私たちひとりひとりの、極めてちいさな命の中で最大のかがやきを目指して!精いっぱい、そんなふうにして、この一箱古本市「はなかり市」を育ててゆくことができれば、と思っています。
一箱古本市「はなかり市」代表 成田安香音