生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

半分

 

f:id:gmkss:20200504111810j:image

 

 昨晩わたしは考えた。こんなみっともない気持ちを紛らわすための方法について。喉がかわいたので、家から二番目に近い場所にある、百円の自販機まで歩いた。途中で煙草の自販機もあり、吸うならば今だ!と確信したのだが、ライターを持ってない。こういう、下手な冷静さには嫌気が差す。いやいや。そんな場合ではない。

 缶のコーラを買い、飲みながら歩いた。そして、明日は日の出を見ようと企んだ。さっそく時刻を調べた。4時ころ起きて出発すれば、ベイブリッジの上からぼんやり日の出を眺めていられるはず!よかった。

 家に帰った。缶のコーラは飲みきることができなかった。歯を磨くためにまず服を脱いだ。そして、風呂場でめちゃくちゃに湯を浴びながら歯を磨いた。ちょっと自分でも意味がわからなかった。電気をつけて風呂に入るのは久しぶりだった。鏡に映った自分の身体に、たくさん脂肪がついていた。こんなふうに生きていても腹が減るのはみじめだなあと思った。いやいや。そんな場合ではない。髪を乾かさないまま布団に入った。

 やな夢を数度くりかえし見た。眠ってたのかよくわからないが起きたらすでに日が昇っていた。いや、日が昇ったので起きた。うす暗いあるいはほの明るい。うーん前者だな。という明度の中で着替え、家を出た。とりあえず歩く。間もなく5時になろうという時刻。

 昨日暑かったから、どの家も窓を開けたまま夜を過ごしたようだ。歩いても歩いても、庭の花以外は死んでいる。うれしい。車通りがないから道路の真ん中を歩いたりした。死のうという気持ちがなくなった。

 家から駅までは20分くらい歩く。日の出は叶わなかったが、始発列車ならば間に合う。短い脚で鎖をまたぎ、ベイブリッジへの階段を上る。ちょうど奥羽本線青い森鉄道線が出発した。今日はもう、ほかにすることがないと思った。見送りたい人がいるわけでもないから何の感慨もなかった。常に誰かが自分を見ているのだということは思った。これはよくある。見てるだけでべつに干渉してこないから気に留める必要はない。

 もっと明るい人間になりたい、明るい人間になりたい、と念じながら青い海公園のほうへ歩いた。空は徐々に明るくなってる。だけど思い浮かぶことのすべてがどうしてこうも沈みがちで重たいのか。もはや思い浮かんですらないのか。海底に沈んでる石が軽やかな気持ちに変わるのを待てないだけなのか。なんにせよ明るくなりたいものだ。しかし車の音も鳥の声もなくなって、海辺にほんとうの静かさがつかの間訪れた。この時わたしは心底安堵した。それでもうだめだと思った。いやいや、いやいや…。

 ベンチに腰かけた。散歩してる人がけっこういる。今は誰の顔も見たくないので、のけぞって空を見ていた。曇っている。そこにあるはずのおもしろみを見出せなかった。視界をもとに戻すと遠くの岸に餌を撒く人と群がる鳥たちが影になって浮かんでいた。ここから見ると、人間が巨大な羽虫の群れに襲われているように見えた。悪くない、と思った。

 そのあとは海を見ながら歩いた。今日、生まれてはじめて海が一枚の布のように見えた。皺の寄りぐあいがただ単純に美しく見えた。毎日おなじ海を見ている人は感動を失っていくのだろうか。それとも毎日あたらしく感動するのだろうか。だけど毎日を恐れていたらどうにもならないよなあ。感動に維持ってのはないのかも。どちらにせよ、努力が必要なのだと思った。

 ヒメリンゴの木に、薄桃色のちいさな花がたくさん咲いているのを見ていたら、すぐそばの駅のホームから列車が動き出した。バスターミナルにも続々と市営バスが集まってくる。適当にどれかに乗ってしまおうかと考えるが、手持ちがほとんどないから歩いた。地下道を通って地上に出てきたら、ますます明るくなってる気がした。階段の手すりに寄りかかってしばらくぼーっとした。青空が見えてきたとたん、つまらなく思えてきた。

 あー帰ろ帰ろ、と自棄を起こす。牛乳を飲みたくてコンビニに寄った。たぶん夜勤の店員が手早くレジを打った。店員の目を見ることができなかったのが心に重く残った。自分はもう23歳か、と思った。

 家までの道を歩いてたら、向こうから白い軽自動車が走ってきた。お父さんだった。窓は開けず、スピードを落として右手を上げた。笑っている。お父さんが死んだらわたしは泣くに決まっている。わたしも右手を上げた。明日お父さんと一緒に本棚でも作りたい、と思った。

 なんでもないのに泣けてきた。口を閉じて嗚咽したら、鳥の声になった。良くなりたいと思った。

 家に着いた。大量のビデオテープを燃えるゴミの袋に入れたのが玄関に置いてあったから、靴を脱がずにふたたび外へ出た。重たく、両手で持った。とてもおもしろいテレビ番組を録画していたテープだが、もう再生できないので捨てるしかないのだ。すでに集積所には多くのゴミが積まれていた。それらの上に、ビデオテープの入った袋を乱暴に投げてみた。すっきりするかと思ったが、そうでもなかった。

 母は掃除機をかけていた。わたしが帰ってきたことに気がついておらず、母の背後に突っ立ってみたら驚いていた。手を洗い、買ってきた牛乳をコップに注ぎ、冷凍してたパンを焼いて皿の上に載せた。いつもは台所でやるのだが、今日は自分の部屋でコーヒーを淹れた。あたらしい豆の袋を開けた。挽いたばかりの新鮮な豆が膨らむのを楽しみしてたのに、ただ土に湯をかけてるようだった。昨日とは違うCDを選んだ。ソファーのようなものに寄りかかり、ほとんど寝そべるかたちでコーヒーを飲みながら本を読んだ。コーヒーはあまり美味くなく、本はおもしろい。冷めてしまったコーヒーが残ってる。これでまだ半分なのか。