生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

半分

 

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 昨晩わたしは考えた。こんなみっともない気持ちを紛らわすための方法について。喉がかわいたので、家から二番目に近い場所にある、百円の自販機まで歩いた。途中で煙草の自販機もあり、吸うならば今だ!と確信したのだが、ライターを持ってない。こういう、下手な冷静さには嫌気が差す。いやいや。そんな場合ではない。

 缶のコーラを買い、飲みながら歩いた。そして、明日は日の出を見ようと企んだ。さっそく時刻を調べた。4時ころ起きて出発すれば、ベイブリッジの上からぼんやり日の出を眺めていられるはず!よかった。

 家に帰った。缶のコーラは飲みきることができなかった。歯を磨くためにまず服を脱いだ。そして、風呂場でめちゃくちゃに湯を浴びながら歯を磨いた。ちょっと自分でも意味がわからなかった。電気をつけて風呂に入るのは久しぶりだった。鏡に映った自分の身体に、たくさん脂肪がついていた。こんなふうに生きていても腹が減るのはみじめだなあと思った。いやいや。そんな場合ではない。髪を乾かさないまま布団に入った。

 やな夢を数度くりかえし見た。眠ってたのかよくわからないが起きたらすでに日が昇っていた。いや、日が昇ったので起きた。うす暗いあるいはほの明るい。うーん前者だな。という明度の中で着替え、家を出た。とりあえず歩く。間もなく5時になろうという時刻。

 昨日暑かったから、どの家も窓を開けたまま夜を過ごしたようだ。歩いても歩いても、庭の花以外は死んでいる。うれしい。車通りがないから道路の真ん中を歩いたりした。死のうという気持ちがなくなった。

 家から駅までは20分くらい歩く。日の出は叶わなかったが、始発列車ならば間に合う。短い脚で鎖をまたぎ、ベイブリッジへの階段を上る。ちょうど奥羽本線青い森鉄道線が出発した。今日はもう、ほかにすることがないと思った。見送りたい人がいるわけでもないから何の感慨もなかった。常に誰かが自分を見ているのだということは思った。これはよくある。見てるだけでべつに干渉してこないから気に留める必要はない。

 もっと明るい人間になりたい、明るい人間になりたい、と念じながら青い海公園のほうへ歩いた。空は徐々に明るくなってる。だけど思い浮かぶことのすべてがどうしてこうも沈みがちで重たいのか。もはや思い浮かんですらないのか。海底に沈んでる石が軽やかな気持ちに変わるのを待てないだけなのか。なんにせよ明るくなりたいものだ。しかし車の音も鳥の声もなくなって、海辺にほんとうの静かさがつかの間訪れた。この時わたしは心底安堵した。それでもうだめだと思った。いやいや、いやいや…。

 ベンチに腰かけた。散歩してる人がけっこういる。今は誰の顔も見たくないので、のけぞって空を見ていた。曇っている。そこにあるはずのおもしろみを見出せなかった。視界をもとに戻すと遠くの岸に餌を撒く人と群がる鳥たちが影になって浮かんでいた。ここから見ると、人間が巨大な羽虫の群れに襲われているように見えた。悪くない、と思った。

 そのあとは海を見ながら歩いた。今日、生まれてはじめて海が一枚の布のように見えた。皺の寄りぐあいがただ単純に美しく見えた。毎日おなじ海を見ている人は感動を失っていくのだろうか。それとも毎日あたらしく感動するのだろうか。だけど毎日を恐れていたらどうにもならないよなあ。感動に維持ってのはないのかも。どちらにせよ、努力が必要なのだと思った。

 ヒメリンゴの木に、薄桃色のちいさな花がたくさん咲いているのを見ていたら、すぐそばの駅のホームから列車が動き出した。バスターミナルにも続々と市営バスが集まってくる。適当にどれかに乗ってしまおうかと考えるが、手持ちがほとんどないから歩いた。地下道を通って地上に出てきたら、ますます明るくなってる気がした。階段の手すりに寄りかかってしばらくぼーっとした。青空が見えてきたとたん、つまらなく思えてきた。

 あー帰ろ帰ろ、と自棄を起こす。牛乳を飲みたくてコンビニに寄った。たぶん夜勤の店員が手早くレジを打った。店員の目を見ることができなかったのが心に重く残った。自分はもう23歳か、と思った。

 家までの道を歩いてたら、向こうから白い軽自動車が走ってきた。お父さんだった。窓は開けず、スピードを落として右手を上げた。笑っている。お父さんが死んだらわたしは泣くに決まっている。わたしも右手を上げた。明日お父さんと一緒に本棚でも作りたい、と思った。

 なんでもないのに泣けてきた。口を閉じて嗚咽したら、鳥の声になった。良くなりたいと思った。

 家に着いた。大量のビデオテープを燃えるゴミの袋に入れたのが玄関に置いてあったから、靴を脱がずにふたたび外へ出た。重たく、両手で持った。とてもおもしろいテレビ番組を録画していたテープだが、もう再生できないので捨てるしかないのだ。すでに集積所には多くのゴミが積まれていた。それらの上に、ビデオテープの入った袋を乱暴に投げてみた。すっきりするかと思ったが、そうでもなかった。

 母は掃除機をかけていた。わたしが帰ってきたことに気がついておらず、母の背後に突っ立ってみたら驚いていた。手を洗い、買ってきた牛乳をコップに注ぎ、冷凍してたパンを焼いて皿の上に載せた。いつもは台所でやるのだが、今日は自分の部屋でコーヒーを淹れた。あたらしい豆の袋を開けた。挽いたばかりの新鮮な豆が膨らむのを楽しみしてたのに、ただ土に湯をかけてるようだった。昨日とは違うCDを選んだ。ソファーのようなものに寄りかかり、ほとんど寝そべるかたちでコーヒーを飲みながら本を読んだ。コーヒーはあまり美味くなく、本はおもしろい。冷めてしまったコーヒーが残ってる。これでまだ半分なのか。

ズーちゃんの魂は死なないひとり旅 in 函館 後編

 

2018年 2月20日(火)

 

 6時に湯元駅を発つ。予定だった。目が覚めると、枡太一の情報番組が終わろうとしていた。昨日、テレビを点けたままで眠っていたらしい。加藤浩次の情報番組に切り替わって、平昌五輪のハイライトが流れた。昨日飛んだ男たちが、また飛んでいた。支度をせねばならない。

 

 通学にはすこし遅い時間の市電に、女子高生がひとり乗ってきた。いつだったか、「ズーちゃんには、行動力がない」と言われたことをふと思い出す。昨日受信したメールを読み返して、たしかに、わたしには行動力がないと思う。

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 オレンジ色はわたしのラッキーカラー。

 

 目的地に到着。函館朝市

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 いろいろとツボのポップ。 

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 きくよ食堂。バイト中に「るるぶ」や「まっぷる」を熟読、厳正なる審査の結果である。

 値段を見ずに「うにといくらとほたての三色丼ください(興奮)」と告げる。温かい麦茶が熱い。

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 運ばれてきた丼を見て、視力が5.0になった。ヒルナンデスの三色ショッピングで「赤と黄色と白の回」があったら、確実にこの丼をコーディネートする。「あなたが5,000円でショッピングしたのは、何色の何ッ」「黄色の~……うに」「ショッピング……成功です!」「山ちゃ~ん♡」うますぎて一口で痛風になった。食うたびに痛風になった。空になった丼を頭にかぶって帰宅したかったが大人なので我慢した。わたしには「大卒は米粒を残す」という偏見がある。

 「お会計、2,000円です」

 ショッピング、成功。

 

 函館朝市を散策する。新宿と姉妹都市なのかというくらいのキャッチの勢い。

 「お姉ちゃん、どこから来たの!」と尋ねられ「青森市です」と正直に答えれば「へえ」みたいなうっすい反応になるのが面白い。「大阪です」と言えばカニとか食わしてくれるんかと思って関西弁の練習をしながら歩く。

 「お姉ちゃん!食べたいものない?」と声をかけられ「カニ」と即答してしまった。カニ、あるよと店内へ引きずり込まれる。めちゃくちゃでかいカニの脚を持ち上げて「カニ」とおじさんは言った。そうだね、それはカニだ。「いくらですか」「2,500円」(高ぇ~)「どこに行っても同じような値段だよ」(高ぇ~)が漏れて「高ぇ~」になっていたらしい。おじさんは熱々の網の上にカニを乗せようとしている。走って逃げる。怖い。

 朝市のお土産屋さんをうろつく。「あなたが今日一番最初のお客さんなの。200円おまけするから買って」と迫られる。時刻は9時をとっくに過ぎているが、まだ客がひとりも来ていないってそれは本当なのか?どちらかというと嘘であってほしい。じゃあ、と松前漬けを買う。おばあさんが「ありがとう、ありがとうね」と強く手を握ってきた。なんかもう全員怖い。

 

 宿に戻る。チェックアウト前にもう一度温泉に入ろうと思っていたのだが、寝坊したので間に合わなかった。フロントで支払いを済ませる。また泊まる機会があれば、誰かと宿の豪華な晩飯を食いたいなどと思う。

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 足湯。

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 小学校の修学旅行で泊まったホテルの前を通った。部屋に飾られている絵の裏に、御札が貼ってあった。

 

 きのう教えてもらった植物園へ。バスを待つが一向にやって来ない。もしかしたら、わたしには見えていないだけで、もう行ってしまった可能性がある。そう思って歩く。

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 到着。猿が風呂に浸かっているというので、見る。猿の金玉でかい。「猿の金玉でかい」とツイートした。タイムラインで猿の金玉の話をしているのはわたしだけだった。

 植物園の中に入るとモワッとしてデジカメのレンズが曇る。

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 別名「天使のラッパ」本名は忘れた。そういうのうらやましい。

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 「ヒスイカズラ」高校のときの同級生の髪型みたいだ。あいつのこと嫌いだったな。

 

 次の目的地まで歩く。

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コーヒールームきくち。「水曜どうでしょうClassic対決列島の初戦の地となった場所。安田顕大泉洋がソフトクリームを持って走った道。安田顕がソフトクリームを落っことした道。定点カメラで撮影したため、ふたりの姿がほとんどテレビに映っていなかったけれど、たしかにそこにあった道。わたしが今、立っている道…

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 魔人とミスターがソフトクリームを3本食べた川沿いの道は、工事中で立ち入ることができなかった。

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  さすがに3本もソフトクリーム食えない。コーヒーとバニラのミックス。水曜どうでしょうClassicを見て、どうしてもこれを食べたくて来ました」と告げる。全国から、わたしのような人が訪れる。「二人とも、あんなに有名になっちゃってね」

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 あこがれのあれ。

 わたしは大泉洋と誕生日がおそろいで、わたしは大泉洋のことが好き。

 

 元町・ベイエリアへ。

 小学校の修学旅行のとき、はこだて明治館で見た「おちんちんチョコレート」のことを未だに忘れられていない。「先っぽからやさしく食べてね」みたいなキャッチコピーのチョコレートだった。あれから8年近くが経過している。「おちんちんチョコレート」を一目見ようと、わたしははこだて明治館を訪れたのだった、ふつうに売ってなかった

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 乃木坂、欅坂と並ぶ日本三大坂道のひとつ八幡坂。石畳かっこいい

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 配色がマッチ(炭酸飲料)と同じ旧函館区公会堂。小学生くらいまでは、笑うのが上手だった気がしている。

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 いい。

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 なんとか教会

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 なんとか教会 函館は木がいい。

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 気がついたら暗くなっていた。函館山のてっぺんが見える。昨日、あそこで寒いなにも見えんと震えていた。今日ならば、100万ドルの夜景が見えただろう。

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 頂上からの景色より、登っている途中で見上げる景色のほうがわたしには合っているのかもしれない。わたしはいつも、坂道を登っていたい。

 と、それっぽい負け惜しみを思う。

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 ここからの眺めで、十分である。

 下るとき、滑って転んだ。ナイキのランニングシューズだから。

 ベイエリアに戻り、家族にお土産を買う。父にカールレイモンの辛いソーセージ、母には塩カステラ、弟にはあじさいの生ラーメン、姉にはハセガワストアの冷凍やきとり、試食したらうまかったのでチーズケーキも買った。自分用にいかキムチを買って函館駅のほうへ。

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 大門横町。

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 いい感じ!

 

 店から出てきたおばちゃんに「お姉ちゃん、日本酒の晩酌セット、1,000円だよ」と声をかけられる。「ビールが飲みたいんですけど、ありますか」「晩酌セットは、スーパードライ大瓶1本」「サッポロクラシックは」「クラシックかい…」「クラシック…」「本当はセットでクラシック出してないんだけど、おまけしてあげる」「やったー!!!」「今日一番最初のお客さんだから」「え」

 え

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 箸で持ち上げてもしならないカチカチのサーモン。たこといかとえびとまぐろ。お通しのいかの明太子和えが一番おいしい。ビールをグラスに注ぐのが下手すぎて、それを見ていたおばちゃんが絶句していた。

 「ひとり?」「はい」「仕事で来たの?」「いえ」「学生さん?」「いえ」

 すぐに顔が赤くなるので心配される。あったかいもの食べな?と言われ、おすすめを聞くと「ほたてのバター焼きだけど、青森から来たんでしょう?青森ならほたていっぱい食べられるもんねぇ」

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 たしかにほたてが簡単に食える環境に住んではいるが、日常的には食わないよ。ということを言わずに「せっかくなのでください」と注文する。うま、うますぎて痛風になった。食い終わった貝殻を缶バッジにしたいくらいうまい。

 だんだんお客さんも増え始めて、青森県黒石市出身という声のでかい男性がやってきた。わたしはおばちゃんと男性の会話を聞いていたけれど「わたしも青森なんですよー」とは言えなかった。おばちゃんは気を遣ってわたしと目を合わせてくれたのだけれどわたしは「お会計お願いします」と言った。「新幹線まで時間あるでしょう、時間までここにいたらいいよ」と言ってくれる。「いえ、ごちそうさまでした。ありがとうございました。美味しかったです」「近いし、また来てね」

 

 なんとなくで外へ出てしまったはいいが、おばちゃんの言うとおり帰りの新幹線までは時間がある。大門横町の中をうろついて、焼き鳥屋さんへ入る。

 「つくねください、塩とたれ1本ずつ」「お水でいい?」「はい」

 わたし今よっぽど顔赤いんだろうな。高校のときに大嫌いだった部活の顧問が赤ら顔で、わたしはそいつのことをいつも馬鹿にしていた。

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 しょっぱい。しょっぺえ。しょっぺえもんはだいたいうまい。しょっぱいからうまいと言っても過言ではないがこんなことを言ったら土井善晴に怒られてしまうので家で料理をするときは土井善晴のレシピ本を見る。これは水と一緒に食べるもんじゃない、間違いなく酒だ。

 老夫婦ふたりでやっているかなり狭い店だった。さっきの店とは違って、わたしに話しかけてくることはなかった。平日、ひとりでふらふらしているすでに真っ赤の女に話すこともないだろう。食べ終わり、ごちそうさまを言う。美味しかったですと伝えると、ふたりとも笑って「ありがとう」と言った。

 

 さよなら、ありがと、北島三郎。新幹線の時間よりも1時間くらい早く新函館北斗駅に到着してしまった。ここで、大好きなバイト先にお土産を買い忘れたことに気がつく。キオスク!と思い自動ドアの前に立ったが開かない。時計を見ると4分前に閉店していた。ガラス越しにめちゃくちゃ白い恋人が積んである。(青森に帰ってから、どこかで北海道物産展を開催していないか調べたがだめだった。しかし百貨店の地下1階で柳月の三方六が売られていたのでそれでうまくごまかした)

 家族にもお土産は好評で、怖いおばあちゃんから買った松前漬けもちゃんとうまかった。2日間空けていたはずなのに、自分の部屋の布団がなぜかあたたかい。

 

 

 「プライドのお墓があるんですが、その上を東北新幹線がゆっくり走っています 駅の近くなんですね

旅行っていいですよね……魂は死なない (2018年 1月4日 23:04のツイート)」

 

 

(2018年)

ズーちゃんの魂は死なないひとり旅 in 函館 前編

 

2018年 2月19日(月)

 

 奥羽本線津軽新城行がJR青森駅5番線ホームより発車。切符は190円。Suicaは使用できない。

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 青森駅前はいつも煮干しくさい。雪の上に輪切りのネギが落ちていると思ったら、イヤホンのぷにぷに。

 

 新青森駅北海道新幹線に乗り換え。無事に函館へと向かっている。

 「ぷしゅ」

 缶ビールが吹きこぼれたので舐めた手がおいしい。黒ラベル。窓の外は激しく吹雪いておるが、函館の天気はどんなだろうか。新幹線が海を渡るって、かっこいいなあ。いや、まてよ?ビールってこんなにうまかったか

 新幹線の窓が汚いが、まあしかたない。掃除は大変だからね

 

青函トンネルのデータ

 全長53.85km 走行時間はおよそ25分 在来線と新幹線が走行できる海底トンネル もっとも深いところで海面より140mも下の地点を走行する

 

「We are running through the Seikan tunnel.」

 

 そろそろビールがまずいがトンネルを抜けると北海道、晴天である。

 

「この先も素敵な旅行をお楽しみください」

 

 函館駅に到着し、とりあえず北島三郎の巨大な広告と自撮りする。はるばる来たぜ。とうっとり、目を細めるが、そうでもない。

 しかし、魂はずいぶんと遠くへ来たものだ。鼻の穴がふくらむ。

 

 五稜郭タワーへ。歴史に興味がない。星はかわいい。誰も踏んでいない雪、かわいい。雪をすべて踏んでしまわない人、しまえない人、かわいい。しかし、上から見下ろす木々はもっとかわいい。こんなの、ほとんど毛細血管じゃないか。毛細血管はかわいい。みんな生きている。かわいい。

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 めずらしい景色。

 

 "偏食の弟(週6で丸美屋の麻婆豆腐大辛を食う)が、小学校6年生のころに修学旅行で訪れた「あじさい」という函館の超有名ラーメン店のうまさに感動し、麻婆豆腐を食いながら「あじさい」の塩ラーメンの話しかしなくなった期"を思い出し。

 やってやろうじゃないのよ。

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 麩、うまい。

 目の前の中国人観光客が飲むビールの黄色、ここは、プレミアムモルツのCMの中かと思う黄色。

 

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 これは、誰かに似ている花

 

 五稜郭公園のまわりを散歩する、ナイキのランニングシューズで歩く。

 頭から五稜郭タワーが生えました、にょき、みたいな浮かれポンチの自撮りをInstagramに投稿する。「10人がいいねしました」

 

 六花亭。将来娘が生まれたら「六花」と名付けたいくらいに好きである。

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 ショートケーキ280円。コーヒー無料(おかわり自由)

 上にのせるいちごは1ピースあたり1個まで、と法律で定められているのではなかったか?そなたに、脱法ショートケーキの名を授けよう。嘘。「今までに見たどんなショートケーキよりショートケーキだ」って熊が言うんだ。

 

 函館山ロープウェイ。山頂のライブ映像が、麓にある受付のモニターに流れる。

「現在、悪天候のため景色が見えておりません」「あ、今すこし晴れてきました」

 博打ロープウェイに乗る。

 敗北。寒い。

 背後のカップルが熱い。

 なにも見えん。見えなさすぎて写真がない。つか、記憶がない。

 そういえば、小学校の修学旅行でも函館山に登った。帰りは、強風でロープウェイが止まったため、バスで下山した。函館の夜景のどこかに、ハートマークが隠れているらしかった。ロープウェイからハートマークを探そうとしていたのに、って、それなりに恋をしていた12歳たちは、残念がったのだった。

 ロープウェイで下山した。ハートマークどころか、なにも見えん。

 

 今回のお宿は奮発。『湯元啄木亭』函館を代表する名湯である。

 11階の大浴場。日本人がいない。他人と同じ湯に浸かるって、どう考えても不衛生であるのに、で、あるのに。お湯最高、水があったかいだけじゃない、わたしはべつにリウマチとかではないけど最高。温泉慣れしていそうなおばちゃんが、頭にタオルを乗せて浴槽に肩まで浸かっていた。「いいね~」と思う。真似をしてみたら、即タオルをお湯の中に落として、泣きたくなる。ちょっと、やっぱり衛生的にどうなの。いや、温泉は最高。最高。と、言い聞かせているだけのような気持ちになってきた。ばかでかいガラス窓から、夜景が見える。「夜景は人工物だから感情が湧かない」と話していた人間のことを思い出して、鼻で笑った。ださ。旅館のシャンプーとか洗顔とかは、めちゃくちゃいいやつなのでうれしい。

 変なところでケチる悪い癖。食事付きのプランにしなかったため、1階の売店にてサッポロクラシックとワンカップの臥牛山、いかの塩辛、8つ連なったチーズかまぼこを買う。売店のおじさんが「いいね~」

 部屋のテレビでNHKを観る。平昌五輪、スキージャンプ男子ノーマルヒル

 さみしい。思わずツイキャスを起動する、旅行先。フォロワーさんに、植物園の存在を教えてもらう。よかった。

 部屋の鍵の開け閉めの際、非常に高度な技術が求められる。さすがは名宿、セキュリティがすごい。トイレの流れる水の強さは地球の核までウンコを引っ張るみたいな強さだった。なんとなく、トイレの戸を開けたままで用を足した。

 飾られた絵の裏に御札はない。天井にシミもない。布団は怖いくらいに冷たい。

 

 1日目、終了。

 

(2018年)

041の散歩

 

 みんな、他人の日記に興味が無い。正常でよろしい。他人に干渉するべきでないし、こうして胸の内を公に明かすほうも馬鹿。倫理と馬鹿が天秤で釣り合うのは面白いね。わたしはここに、全てを記してはいないけれど、このブログの過去を漁って読めばだいたいわたしがどんな人間か想像できるくらいに、このブログはわたしになってしまった。でもこのブログはわたしから見たらわたしではないこと、それはおわかりいただけますよね?

 わたしとあなたの関係は他人です。わたし以外は全て他人です。たとえ血縁関係にあろうと、わたしはわたし以外を他人と思います。家族は家族という名の、友達は友達という名の他人です。もちろんですが、わたしの精神がわたしの肉体から剥がれているのであれば、それも他人です。だから、このブログがわたしの精神と一致していても、このブログの肉体を所有しているのはわたしですから、このブログはわたしではない。スマートフォンやPC等の端末は肉体と呼ぶには機械的ですし、いくらでも複製可能です。複製でき、そして流通するものを肉体と呼ぶには少々抵抗があります。

 人間を名乗る以上は、道徳、倫理に則って生きていかねばならぬのだが、どうしてこんなにも、人を騙すということはやめられないのだろうか。酒やタバコと同じくらい、やめられない。人は本来信じやすい生き物です。疑いは学習の証です。あなたも人間ですが、きちんと人間やってますか?賢く生きることのみに囚われると、徐々に人間から遠ざかっていくというのが、わかるかと。

 これは感情の解剖です。血は出ませんから、あんまりグロテスクではないが、道行く人を引き止めて、開いた傷口を見せ、感想を強要しているみたいなブログです。素通りするのが当たり前でしょう。でもごくたまに、世間は物好きと呼ぶような人もいらっしゃいます。そのような人に出会うとわたしは喜びます。

 他人とわたしが解り合うには、この感情の解剖というプロセスが必須です。どちらかが自らにメスを入れる、または心を開かせるといい相手の感情にメスを入れる、といったふうな。こういうのが嫌いな人とは、どうしたって皮膚レベルの、たとえばマイクロチップが簡単に侵入できる程度の浅いところでの付き合いになるでしょう。

 人間を名乗って生きています。死にたくないと思います。死にたいと言う他人の寿命をいただけるのなら、喉から手が出るほどに…そして感謝をこめて喉から出た手で握手したいとさえ思います。

 このブログを読んでくださる人は物好きというやつで、しかしそれはわたしにとって干渉ではなく、お医者さんごっこに付き合ってくれる『友達』と思っています。『他人』というカテゴリではなく、『わたし』という個人に興味を抱いてくれる『友達』は、ようやくわたしの精神と肉体をぴったりくっつけてくださるのです。

 

 ただいま。

やさしい人へ

 

 「放つ」という日本語がもつ神々しさ。はなつ。意味通りの開放感と、発音したときの心地よさ、「つ」の余韻。見届ける余裕みたいなものを感じて、明るい言葉だなと思う。

 

 わたしは誰かを傷つけることに抵抗がない。いちいち人の痛みなど推し量ってやるやつの気が知れない。所詮、推測は推測でしかなく、多くの場合は同情止まりだろう。わたしより酷なことをしている人間。わたしは誰かの罪に加担するのではない。わたしはわたしのためにしか生きられない。わたしにはわたしの罪があり、一生ぬぐえないそれを連れて生活するしかない。逃れることは情けない。感情に背けない。そこに他人の陰など映らない。わたしは優しくないが、同様に優しくない誰かに責められる筋合いもない。信頼した人、裏切られた人、信頼された人、裏切った人。オセロゲームに付き合う暇は誰にだってないでしょう。わたしはわたしのために生きていくだけなのだから、目まぐるしくひっくり返る白か黒の二極で、盤の上で、いちいち他人を気遣うなんて、そんな嘘くさいことはできない。いい人を演じることはできても、いい人にはなれない。罪悪感なんて、病的な自惚れの、いよいよの末期症状だ。開き直るのも快くないが、償うことのできない罪について嘆くよりはいくらか軽い。後々になって心が痛むくらいなら、常に真の善人であり続けること。わたしにはそんなことできない。できないから、ドブ水でも啜っている。