生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

過不足あって過不足ない人間だ、

 

 1月12日木曜日。

 おとといカレーを煮ていたら、認知症だった祖父が台所でカレールーを口に入れ咽せていたあの光景を思い出した。11日は祖父の誕生日であり命日だった。自分がその前日にカレールーを手にしていたことは偶然に過ぎないのだけど、過ぎない偶然というものはそのように蔑ろにされていいものなんだろうか? そうであるからこそ、そのとりとめのなさと意味性が爆発して強烈な印象を個人の内に残して去るのだろうけど。繊細な人間と言われてうれしくない。偶然の連なりが自分を形成しているのだとしたら。いいや、意思はある。それなら。すべてはうまくいくという楽観主義が報われるといいね? そう自身に思う。努力の足りなさを指摘されたことが過去に何度もある。それで口をつぐんでいたら、本当に何も言えない人間になってしまった。君だって寂しさを感じたことがあるだろう。もしそれが知らない感情なら、誰かが与えてくれる時を待つことしかできない。しかし与えられるだけの人間にはなりたくないということも君は理解している。だから君の苦しみは健全なのだ。何も排除するな、何者からも認められない時こそ、君が君を認めるというその判断に光る唯一の価値があるのだ。触ると冷たい炎でいてまるで人生をからかうようにして。過不足あって過不足ない人間だ、君が君であるようにして私も。