生きてるだけで、ワーイ

鳴門煉煉(naruto_nerineri)の日記

明るいよ

 

 12月22日木曜日。

 8日ぶりの休日。「夢があるので」と言い残しパン屋を辞めてから1年が過ぎた。

 黒く焼け焦げたベーコン。台所の蛇口で髪を濡らして寝癖を直した。埃のたまりやすい床。ひと月かかって飲み終えたにんじんジュースの瓶に、おととい買ってきてベッドの後ろに隠しておいた花束を生けた。淡い緑色の花の蕾が落ちたのをほしさんが拾い、小さなコップに薄く水を張って置いてくれた。

 どうして泣くのか理由を説明できる。しかし話すということの速度に私は追いつくことができない。文章を書くということは私にとって才能でも芸術でも何でもなく、これが最も適切な伝達手段に過ぎないからだと言えば、葉が縁から緑色を失う様に似た寂しいような思いもする。誰かが私の文章を読むとき、それは無音で再生されていてほしいと思うけれど。VHS。

 泣きたくて泣いてるんじゃないけど「あの時、楽屋で泣くのはもうよそうと思いました」って昨日Salyuがテレビで言ってたしな、私も部屋で泣くのはもうよそうと思いました。リリィ・シュシュのすべてのすべて。そういう外膜的な、自分を観察、というよりかは監視してしまう眼が要らなくて骸骨みたいにして抉りたくなるときがある。今からでも遅くない、と言われたら、それなりに励まされたような気分になる。高田馬場の坂道。

 というか二度と再現できないものであってほしい、様々なことが。さや香の漫才おもしろかったな。髪型どうしようかな。夕飯どうしようかな。

 毎日笑って暮らすためには、笑えないような時間が私にはどうしても必要で、だけど救いを求めて誰かに会いに行くなんてことは私、しないので、会うときはいつも互いに笑っていたいと思ってるんです。本当は、声が聞こえているからうまく喋れないんじゃないかな。油川にある海岸に潮が満ちているのを見たときを思い出しました。でもよくなりたいと思っているのは本当だよ。信じて、って人にお願いするのはつらいなあ。誰も近づくことのできない、遠いところで光っている物質は感情を持たないのでたとえ孤独でも、長く生きられるのだと思います。光るより、消耗が激しい生をこんなにも至近距離でみなさんひしめいてうごめいて、窮屈ではあっても退屈ではないよね。明るいよ。

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