生きてるだけで、ワーイ

そんなことは無い

初夏を素敵に

 

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 一生懸命に生きる、こんなにも単純なことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。

 昨晩、部屋でひとり、自分のからだの形にぴったり当てはまるソファに沈みながら、炭酸の飲み物を飲んでいた。好きなCDもかけていた。すると、北向きの窓を割るような、激しい雨音が聞こえてきた。それらの音は、互いを打ち消すことなく、互いのままに存在し、それでいて調和が取れていた。

 そういえば、自転車での帰り道、ぱらぱらと雨が降った。あれが、夜深くなって、勢いを増したのだなと思った。帰り道で、私は、右手でハンドルを握りながら、左手で前髪をかきあげた。髪は風も含んでぐちゃぐちゃになった。そのとき、私は、やっと、本当の自分になれたような気持ちがした。そして、じきに夏がくる、と予感した。

 そのことを、ソファのなかで思い出していたら、眠気は霧のように現れて、さまざまな音が、私から遠ざかっていくのを感じた。あるいは、あのとき、私のほうが消えていったのかもしれないが、誰も見ていないのだから、誰にもわからないことだ。

 葉が青いと私はうれしいし、日焼けは、少しいやだが、太陽があるとうれしい。いい匂いの雨が降るときもある。(あれは、町と雨の相性なのだろうか?)ひとりのときは、脈絡のない踊りを踊ったりする。食べ物をおいしく感じたり、崩れそうな気持ちを、自分でたくさん考えて、そうして生まれたあたらしい気持ちで支えたりすることなど、人生には楽しみが尽きない。

 いつかは終わるすべてのことを、私は今、とても悲しいことだと感じる。だけど、それは、すばらしいことなのだ。いつかは終わるということも、それらを悲しいと感じることも、両方すばらしい。もっと、よく生きたい。それだけが、実現可能だから、あきらめない。

 涙が出るのは、悲しいときだけではない。まずは、いつもの椅子に腰掛ける。そして、のぼりたての朝の陽に照らされる道を、窓越しに眺めているだけでも、じゅうぶんこみ上げてくるものがある。そこに猫が一匹通りかかれば、なお良しだ。