生きてるだけで、ワーイ

そんなことは無い

good job

 

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 月曜。天気はよかったのだが、お客さんの入りがいまいちで、パンが売れ残る。私の大好きな、くるみといちじくのパンや、オレンジの皮とカシューナッツのパン、くるみ入りのフランスパンなど。

 店長はこのあと釣りにいくのだろう、釣り竿を片手に、店のシャッターを閉めた。そういえば、先日、店長が「みんなを連れて海釣りに行きたい」と言っていた。朝がとてつもなく早いこと(パン焼き職人の店長にとっては慣れっこだ)、船酔いなど、心配ごとは多くあるけれど、実現したらいいなと思っている。

 パン屋で働き始めてから、次の夏で、丸2年になる。どうして、こんなに暗くてキモチワルイ人間が、接客などしているのだろう、と度々思う。お客さんと話すことは、相変わらず苦手だけれど、話すことが嫌いではなくなった。好きかと問われたら、返事に詰まるが。とにかく、そんな感じだ。

 今、私はパン屋だから、パン屋の仕事に集中している。店長は、毎日、とてもおいしいパンを焼く。だから、私は、安心をして仕事ができるのである。お客さんから「ここのパン、大好きです」などと感想を言われると、本当は、謙遜をしなくてはいけないのだろうが、「私もです」と言ってしまうことが、往々にしてある。

 レジの前に立っているというだけで、たくさんの人にかわいがってもらっているが、実際、私はそのような人間ではない。パン屋のお姉さんであるからこそ、これだけたくさんの人との出会いがあり、私はそのことに、とても感謝をしている。逆を言えば、この仕事をしていなければ、私は、その誰とも話すことができなかった。

 パン屋になりたての頃は、店に立ってにこにこしていても、自分を偽っているという気持ちが強く、さらにそれが大勢の人に受け入れられている、という状況に耐えられず、とてもつらかった。けれど、今は、そういったことが、まるで気にならなくなった。

 私が本当にやりたいことは、"こんなこと"ではないのだ。そういう気持ちが、あったのだと思う。いつかは、自分の夢を叶えてやるのだと考えると、朝から晩までパン屋にいることが、ばかばかしくてたまらなくなるときもあった。自分を偽っていると感じる原因も、現在の境遇を、認めたくないという、つまらぬ意固地に過ぎなかったのだ。

 しかし、私のような人間は、そうではないのだ。"こんなこと"すら、まじめにできないようでは、他のどんなことをやってもだめなのだ。だから今は、私なりに誠意を尽くして、パン屋の仕事をしている。そうすると、パン屋の仕事が、以前にも増して楽しくなった。食事は、動物の生きることと、密に関わることだ。しかも、ただ食べられればよいというだけではなくて、そこに、工夫を加えて、よろこびを見出している。これは、人間ならではの営みだと思う。その一助となるのだから、パン屋は立派な仕事である。決して、"こんなこと"ではない。2年勤めて、心境に訪れた変化といえば、それくらいのものである。

 勤めが終わったあと、海のほうへ行ってみた。日が長くなったというだけで、こころはだいぶおだやかでいられる。暮れ方の海辺は、まだ肌寒い。海の向こうに、ぽつぽつと明かりの灯る市街地を見ていると、私には、故郷があってよかったと、安堵するのだ。けれど、ここを出たところには、まだまだ知らないことや、まだまだ知りたいことがあるのだと思うと、とたんに、息が詰まるのである。友達は、みんな遠くへ行ってしまって、取り残されてさみしいとか、そんな気持ちになっているのではない。私にとってのそこが、具体的にどこであるのか、今は見当もつかないが、見渡す限り、海も空も、とにかくでかいのだ。